「民主と人権」第7号

2004.12.15
民権7−1

 「大切につかってくださいね」と寝袋を手渡す
   一人の凍死者も出すまいと行動

 「ろくな者じゃの会」(代表世話人・北出裕士)が、移動型野宿者(公園などに定着せず、夜だけビルの軒下やアーケードでダンボール小屋を組み立てて寝ているホームレス)に凍死防止用の寝袋を配り始めて五期六年、これまで合計三一九〇個(二〇〇四年三月三日現)の寝袋を配っています。
 民主主義と人権を守る府民連合は、「ろくな者じゃの会」より十一月三十日から寝袋配りをはじめますとの連絡に、「人権を守る課題」として、三十日と十二月七日、午後八時すぎから寝袋を両手に持って、大阪市内を数コースに分かれて行動。路上や地下道の野宿者に「こんばんは、失礼ですが私たちは寝袋を無料で配っています。冬の間、大切に使っていただけたら使って下さい。」との声かけに、「夜は寒くてよく眠れない。これでよく眠れるありがとう大事に使う。」「自転車の前カゴに入れていて目を離したら盗まれた。困っていたところやありがとう。」「私にもちょうだい、ありがとう。」など色んな反応が返ってきます。路上での凍死者を一人も出すまいとの思いで、三十日は四十三個、七日は四十五個の寝袋を手渡すことができました。
 「会」の調べで、大阪市では、毎年三〇〇〜四〇〇人の野宿者が路上で亡くなっています。また、病院に運び込まれても二十四時間以上経ってから亡くなった人はカウント外です。行政は数字の把握さえこれまでしていなかったこともわかっています。最近ではリストラされた四〇代のサラリーマンや技術系の労働者が目立つとのことです。
 「会」では、家に眠っている寝袋や寝袋購入のカンパも受け付けています。一個八〇〇円で購入できますと、協力を呼びかけています。
 「会」として年内は、二十一日・二十八日、午後七時三〇分にGU企画(中央区粉川町四ー八ー一○一藤和シティイコープ谷五一○一号室、電話〇六ー六七六八ー〇四五四)に集合して寝袋配りをおこなうことを決めています。

 7−2
  人権を考える ーいわゆる人権「新しい」人権、改憲論ー
        丹 羽 徹(大阪経済法科大学教授)@

 今日は憲法とか人権とか全体に関わるようなことをお話ししようと思っています。 
 最初に憲法をめぐる全体状況、改憲論の現状を見ておこうと思います。日本国憲法というのは一九四七年からすると五七年で、公布されてから五八年、最初の数年を除いて不思議なことに保守政党といわれている人たちが憲法を変えようと、革新といわれている人たちが憲法を守ろうと日本の政治では何故かなってたんですね。外国からみるとまか不思議な状況になっています。いまある現状を守ろうとするのが保守で、いまある現状を変えようとするのが革新だと思うんですが、日本の場合何故かまったく逆で、シフトが少しずつ右にずれてるといっていいのか。政治的な状況でいうと、ヨーロッパだと過去の遺物にすがりつこうというのは圧倒的に少数派なんですね、日本の天皇制に限りなく近いわけですから。
 ヨーロッパの王室、いまでもフランスなんていうのは共和制になったというけど旧貴族というのは自分たちの空間を作っていまして自分たちは貴族だと思っている。ようするに公的には貴族という身分が無いだけのことで社会的存在として貴族というのはいるんです。そういう人たちは、一定お金をだして一定文化には貢献するという側面があります。













 例えばルイ十七世にギロチンされた人なんかの末裔がパリ市内にアパートに住んでいて、その人は貴族だといってるんです、王族だというわけです。それもブルゴーニュー王朝の末裔だといわれるんですよ、そういう人は。そういう人たちをもう一度復権させようという政治的な力というのは皆無ではないんですよ、皆無ではないけれどもほとんど見向きもされません。だから政治的な勢力としてはごく少数です。
 革命の時というのはそういう勢力を打破して近代的な国家を作ろうという人たちとの間を駆け引きをしてね、間を行ったり来たりしていた時代ですよ。これが右にいったり左にいったりしながら革命というのが進んでいって、あるときは大きくぶれるものだから、社会のバランスとしては少しずつ寄っていってこっちに行きすぎるとまた寄っていって。大筋というのは王制ですよね、そういうものから共和制の方向へずっと揺れながらもこっちの方へ行くわけですよね。そうするとこっちを目指す政治勢力というのはいままで少数派になってこっちの方にいて。イギリスを見てもらえばわかるんですが、労働党と保守党というのが昔は保守政党どうしのホイップと道理というのがあったのがだんだんと政治力が上がって保守党になっていき、最近またイギリスは右の方にずれて問題なんですが、保守党と労働党との間に差がなくなってきてるという問題が一方にあるんですが、世の中そういうふうに過去の遺物にしがみついてく政治勢力が無くなってきた。日本の場合はまだそこのレベルなんです。ヨーロッパでいうと二百年前、三百年前の君主制を維持するかしないかと議論をするわけですね。なおかつそこに天皇制にそれなりに意義を込めさせようとするわけです。
  三ページへつづく
7−3

 自主憲法制定が自民党の党是

 イギリスでは、君主制をとってますけどイギリスの君主制というのはそれなりに意義を込めないようにしてきたわけですからずっと。それにもかかわらず日本の場合はまだここに意義を込めさせようとする人たちが一杯、かたちはちがうけどいるわけです。保守という人たちが昔の保守で、世界史の流れから見ると反動の位置にいて、革新政党が保守的なものになっていると、まあ日本のきわめて特異な政治的ですね。その影響が五十年間、ほぼ五十年ですよね。来年自民党が五十年ということになりますが、五十年間ずっとそういう体制で続いていて、それが世界の中できわめていびつな日本の政治状況を作り出していると思います。一九五五年につくられた自由民主党、自由でも民主的でもない政党がなぜ自由民主党というか。自由でも民主主義でもないから自由民主党というわけですよね、簡単にいえば。自分たちがそうでないから掲げざるをえないというのが現状ですよね。実際には自由党と民主党がくっついたから自由民主党ということだけの政党でありまして。もともと自由と民主主義というのは対立する概念なんですよねある意味で。民主主義というのは最後は多数決で決めますよね。しかし自由というのは多数決で決めたらダメなんです。簡単にいいますと、自由と民主主義というのは本来ある意味で矛盾する概念なんですけれども、それが一緒になってしまって日本では保守政党として、四九年たったいまでも続いています。政党としては日本で二番目に古い政党なんですよね。
 自民党が四九年前に作られたときになぜ保守合同がおこなわれたかというと、一つは社会党が右派と左派がくっついたということとの関係で保守合同することになったんです。何よりも一九五五年というのは日本が戦争に負けてから十年、憲法ができてから七年、八年、日本が独立してから四、五年、三、四年の段階ですよね。でもその当時というのはどういう状況かというと、ちょっと前に朝鮮戦争があって日本で自衛隊の前身の警察予備隊がつくられて、そのあと保安隊になり、一九五二年に自衛隊がいまの名前に変わったわけですから、その直後ですよね。それは日本の軍事化の過程のなか、そこで憲法と自衛隊の存在そのものの矛盾があきらかになってきた。そういうなかで憲法を変えないといけないというのがあって、変えるためにはどうするか。憲法の中で三分の二以上国会で議席をとらないと憲法は変えられませんよね。少なくとも最低限第一段階として、国会のなかで議席を三分の二以上とらないと憲法は変えられないことになっているから、まず国会のなかで多数を取らないといけない。数をとるためにはまずみんな一緒にとくっついた。くっつくとき当時として、日本国憲法というのは少なくともアメリカ軍に押しつけられたというのが保守政党のなかではある意味常識化していましたから、押しつけられたんだから自分たちで憲法を作るんだという、明治憲法を無理矢理変えさせられたという意識がある人たちが集まってくっいたのが自由民主党。自民党ができて自分たちの憲法を作らなければいけないと、自主憲法制定というのが党是として盛り込まれるということになっていき、憲法改正が自民党の存在理由の一つになっていたわけですね。ただ五十年たって保守政党が日本の戦後、政権をを担当してきたにもかかわらずいまだに改憲が実現できないのは何故かということを簡単に言ってしまうと、改憲では票は取れないですよね。 憲法改正を選挙公約でかかげると票が取れないというか逃げてゆくというのが社会の潮流だったわけですよ。     次号につづく

 憲法と人権問題
   シンポジウム
 日 時 1月29日(土)
    午後1時30分〜
 場 所 府立労働センター6F
 参加費 1000円

7−4
 大阪市立大学人権問題委員会と懇談
「人権問題パンフレット」について

 「全解連」への誹謗・中傷は認めない
  質問四について
 「人権問題パンフレット」には、一九六九年に同和対策事業特別措置法が制定された際、「同和対策事業は部落民をあざむく毒饅頭であるとして、その実施を拒否すべきとする意見が部落解放同盟内部に起こり、これを主張する人々は部落解放同盟正常化全国連絡会議を結成し、一九七六年全国部落解放運動連合会(全解連)として分裂します」と記述しています。
 民権連はこの記述にたいして「事実誤認で、全解連に対する誹謗中傷、運動を分裂させたのは一体誰ですか」という質問四をだしました。
 回答では、中西義雄氏の「部落解放運動の当面する理論的諸問題」(一九七三年季刊・部落解放運動・創刊号)の一文を利用して、「このような答申や特別措置法の欺瞞的な性格を批判し、一見おいしそうに見えるが食べれは人民を麻痺させる『毒まんじゆう』として、当時比喩的によく使われました。だから事実誤認ではなく、ましてや全解連への誹謗中傷ではない」と強弁しました。

「毒まんじゅう」の出典 は「解放新聞」
 中西義雄氏は上記「部落解放運動の当面する理論的諸問題」の第二号で次のように書いています。
 「朝田一派の一九七四年度一般運動方針という文書でも共産党が『同和』対策審議会の活動や国会における法律制定のための運動に反対し、この重要な時期に『同対審』答申を『毒まんじゆう』だとして全面的に否定し、運動をすすめようとしている部落解放同盟に敵対した」(解放新聞一九七四年二月二十五日付)などと言いふらしている。「かれらが執拗にデマゴギーを繰り返しているのは、誤った『答申評価』を絶対に正しいとするあがきからであり、同時にそれが正常化連、反共攻撃の有力な武器であると考えているからにほかならない。」
 この論文にも表れているように、正常化連や共産党は「同対審答申」の二面性は指摘しましたが「部落住民の立場から批判的に検討して、諸要求実現と部落解放運動の真の前進のために役立たせることは、きわめて重要になってきている」(上記中西論文)と指摘しているように「毒まんじゆう」だとして全面的に否定した事実はどこにもありません。分裂の要因は答申に反対したためなどというデマではなくて、直接的には「矢田問題」を差別であると認めなかった支部や支部員など大阪の部落解放同盟員の三分の一を除名した現解同側に原因があると指摘しました。

 分裂の原因は矢田問題を差別と認めない者と
   支部を除名したのが原因
 東委員長は矢田問題の評価をめぐって論議になったとき「差別でない」といったものは除名され、更に「窓口一本化」によって行政上も差別されてきた経過について説明しました。
 東大阪市の蛇草支部では、解同幹部に対しておばちゃんたちが「矢田問題のどこが差別や」という声に反論できずに帰った。その後、支部大会で「矢田問題は差別ではない」と決議したら、支部ごと除名された。こんなことは広島でも山口でも全国各地にあった。一方、同和対策事業は申請書類に解同支部長の印がない者は受けられなくなった。保育所入所でも生活保護一時金にしても、支部長印のない者は受けられなかった。いわゆる「窓口一本化」である。   五ページへつづく

7−5
 この解同を窓口とする「窓口一本化」裁判では勝てる見込みがないから、大阪府は行政責任をのがれる方策として同和事業促進協議会(同促方式)をつくり行政差別を継続していった過程の説明をしました。
 大学の野口氏は「このパンフにはもともと全解連のことは記載していなかった。全解連の紹介をしておく必要があると思って記述した」と説明しましたが、「事実と違う紹介はするな」との声が出ました。

「判断を差し控える」なら「差別は厳しい」と書くべきでない
  質問五について
 質問三に対する回答について批判を述べたように、「差別はきびしい」と強調するために問題点を列挙し、これに対し、理由を尋ねると判断を差し控えるというのは無責任な態度です。判断を差し控えるというのであれば「差別はきびしい」理由として挙げるべきではないと指摘しました。また、低学力の問題でも、「格差は認められなくなった」という大阪府教委による「平成十五年度大阪府学力実態調査報告書」にもとづき説明しましたが、野口氏は「同和対策事業やってきたけれども、みるべき成果はあがっていない」ととんでもない見解を示しました。
 
 三十年前と同じ部落問題の認識では「大学は時代遅れ」の代表になる
 質問六について
 パンフレットには「今までの同和対策事業は同和地区の住民であるかないか、同和関係者であるかないかによって受給資格が制限されるという、いわゆる属地属人主義で行われてきました」と記述されています。これは間違っているのではないかという質問六を出しました。同じパンフレットの中でこれが間違いであることを自ら記載しています。P・十五には「同和地区にはいわゆる部落出身者でなく、よそから転入してきた人が多く、大阪市内の同和地区の場合七四%をしめています(二〇〇〇年実態調査)」と。この事実は「属地属人主義が成り立たないことを示しています。質問に対し「政府の基本方針であって、大阪府・大阪市では同和事業促進協議会方式(同促方式)で行われた」と回答してきました。懇談会ではこの同促方式が解同一部幹部の利権と分断による住民支配の道具になってきたことが指摘されました。

 「差別落書き」保存が必要か?
  質問七について
  人権問題パンフレットの四三頁には差別落書き、差別発言への対応についての「マニュアル」が示されています。このやり方で本当に差別がなくなるでしょうか。
 本年十月にだされた大阪市「人権協だより」によると「最近、市内の各所で同一人物がおこなったと思われる差別落書きが発生している」と紙面をさいて報じています。もちろん落書きはよくありません。しかし、八百万府民の中の一人の落書きも無くならなければ「差別は厳しい」というのでしょうか。
 最近、部落差別落書として取り上げられているものに、ゴミ箱の中で「ここは同和地区ではありません」と書かれた紙切れが見つかり、行政関係者が大騒ぎをするということがありました。差別落書きとされるものには「ブラクカイホウ」「差別反対」「人権や言うたら何でもできる思うとる」などもあります。先生や市役所の人が大騒ぎするから面白いとか、同和行政を進めさせるために書いたという例もあります。市内のある事業所では相次ぐ落書きの対応に追われていたが、「今後は見つけたらすぐ消すこと」という通達を出したら落書きが無くなったということもありました。
大学といえども教育機関であることには違いありません。マニュアルでは「関係者と協議」など重大事象として取り扱っていますが大阪市の多くの公共機関と同様に関係者・関係機関というのは特定民間団体を意味しています。   六ページにつづく

7−6
 教育機関や教育行政が問題を社会問題化したり、外部の圧力でこれに手を貸したりするいう事態は、教育の原理を逸脱するものです。大学は学生の教育と自治を守る立場を堅持して、主体性をもって自主的・民主的に問題解決にあたることが重要です。
 木山委員長から「みなさんの主張はよくわかりました。今後、書き換えにあたって考慮していきますが、大阪市の一部局としての制約がありますからご理解いただきたい」旨の話がありましたが、論議が尽くされないまま二回目の懇談は終わりました。
 大学の見解は事実のわい曲だけでなく全解連に対する誹謗中傷、歴史的事実に反するものであり、引き続き懇談を申し入れていく予定にしています。

  二○〇四年九月二九日
民主主義と人権を守る府民連合
     委員長 東 延 様
 
「人権問題パンフレット」の記述内容についての質問(二〇〇四年七月五日)にご回答いたします
 大阪市立大学人権問題委員会
     委員長 木山 博資

四)質問四「毒まんじゅう」という表現について
 キーワード「部落解放運動」の説明のなかで、全国部落解放運動連合会(全解連)の結成の経緯に触れました。部落解放運動の分裂の背景には、さまざまな論点や意見の不一致があったことは承知しております。そのうちもっとも本質的な意見の相違は、一九六五年「同和対策審議会答申」、および一九六九年「同和対策事業特別措置法」の評価をめぐる評価であったと判断し、その点にしぼって記述しました。
 部落解放同盟が「答申の完全実施」を運動方針として掲げていたのに対して、部落解放同盟正常化連絡会議は、答申や特別措置法に批判的な評価をしていました。たとえば、一九七二年の全国部落代表者会議で決定した運動方針で次のように述べています。
 「こうした欺まん的懐柔的な融和政策は、一九六五年の『同対審』答申を利用して急速につよまり、一九六九年の『同和対策事業』特別措置法制定以後、とくに露骨になっています」。
 また、正常化連の理論的指導者である中西義雄氏は、つぎのように批判的に述べています。「政府、自民党は、部落問題の根本的な解決を推進するために、特別措置法を制定したものではなかった。むしろ、部落差別を現状にみあったかたちでのこして、搾取、収奪と分裂支配に利用するとともに、欺まん的な「同和対策事業」をも、部落住民にたいする懐柔と部落解放運動の分裂と反共攻撃に活用していくという、きわめて巧妙な、あたらしい融和政策を打ち出してきたものである」(中西義雄「部落解放運動の当面する理論的諸問題」『季刊 部落解放運動』創刊号、一九七三年)。
 このような答申や特別措置法の欺瞞的性格を批判し、一見おいしそうに見えるが食べれば人民を麻痺させる「毒まんじゆう」として、当時比喩的によく使われていました。
 したがって、パンフレットにおける「『部落民をあざむく毒饅頭である』として、その実施を拒否すべきとする意見が……」という表現は、事実誤認ではありません。ましてや、「全解連への誹謗中傷」ではないと考えています。

五)質問五について
 質問三の回答と同様に、問題が同和問題に起因するものなのかどうかについては、研究者によって議論のわかれるところです。それについては研究者の問題解明に委ね、人権問題委員会としては判断はさしひかえます。

六)質問六について
 同和対策事業について、政府は属地属人主義の考え方で実施することを基本的方針としてきました。それを受けて、自治体レベルでは、地域の実態にそくして運用がなされてきました。例えば、大阪府、大阪市では、同和事業促進協議会方式(同促方式)で行われてきました。

七)質問七について
 差別落書きへの対応は、マニュアル(p・四三)に従って行ってきました。差別発言については、発言者がわかれば人権問題委員会が本人から事情聴取をおこない、問題の背景の解明と、啓発にとりくんできました。(三)の「確認・確認書」の作成は、落書きの内容や場所、発見者など事実を確認するものです。「部落解放同盟流の確認・糾弾行為」が何を意味するのかは、わかりませんが、公開の場で事実確認や糾弾を行うということはやってきていません。
 このようなマニュアルは、対応の手続きを定めたもので、差別をなくすための、ほんの第一歩にすぎません。人権問題委員会では、確認された事実を分析し、大学として何をしなければならないのかは議論し、差別をなくすためキャンパスづくりにとりくんでおります。

7−7

  三重県・弓矢人権裁判判決
解同「糾弾会」参加強要は違法
 十一月二十五日、弓矢人権裁判の判決が三重県津地方裁判所で言い渡され、内田計一裁判長は三重県に対し、慰謝料二百二十万円を原告の弓矢伸一氏に支払うよう命じました。
 裁判は、三重県松阪商業高校に一九九九年当時勤めていた弓矢伸一教諭が、居住地での発言を解同によって一方的に差別と断定され「確認・糾弾」行為の標的として数々の人権侵害を受けたことに対し、同氏が松阪商業高校同和教育推進委員や三重県、解同などを相手に慰謝料を求めて提訴していたものです。
 判決は、県教委の担当者が弓矢氏に解同の糾弾学習会への参加を強要し、松阪商業高校同和教育推進委員の森山忠文被告らが「感想文」の作成を強要したことを違法とし、これらの行為で「原告は少なからず精神的苦痛を被った」の認定、慰謝料の支払いを命じました。
 判決後の報告集会で、全国から駆けつけた支援者が勝利判決を喜び合いましたが「判決では三重県の同和教育のゆがみが明らかにされていない」「解同こそ裁かれるべき」などの声が出され、「支援する会」では控訴を検討しています。
 また、同会では、この三十年間に、全国で二十名を超える校長先生をはじめ教育関係者が解同による暴力的糾弾で自殺に追い込まれていることなどを告発したパンフ「いのちを奪いこども先生父母を傷つける『同和教育はいらない』」を全国的に普及し、さらなる支援をおこなうこととしています。
 
 人権侵害や逆流を許さない運動を
全国人権連が第一回研究集会開く 
 全国地域人権運動総連合(全国人権連)は十一月二十七日・二十八日の両日、「地域社会に人権と民主主義・住民自治の確立を」メーンテーマに第一回地域人権問題全国研究集会を長野市内で開催、会員、自治体関係者、議員らのべ千五百人が参加しました。
 一日目、二十七日は六分科会に分かれての討論では、同和事業の完全終結、憲法改悪に反対し、平和と福祉を危うくする政治をただし、人権を守る運動の報告や交流がおこなわれました。
 第一分科会「人権教育・人権啓発をめぐって」では、解同の「確認・糾弾会」出席を拒否したことで、解同の圧力で私立藤井学園を不当解雇された香川県の小野真史教諭は、高松地裁で「確認・糾弾」は誤りであるとの判決を勝ち取った経験を報告、「解同いいなりの県政を是正するきっかけに」と訴えました。
 第二分科会「人権侵害救済のあり方」では、政府が人権擁護の名で表現の自由や内心の自由を抑制しようとする「人権擁護法案」の再提出の動きへの警戒が強調されました。
 二日目、二十八日の全体会では、石岡克美全国人権連議長が主催者を代表してのあいさつで、国民融合で部落問題を解決してきた全解連が四月に発展的転換をした意義を強調し、解同の人権侵害や同和行政の逆流を許さない運動をさらにすすめ、地域を基礎に人権の立場から憲法・教育基本法を守り民主主義を大いに発展させ「住民の悩みや諸要求を実現する運動を広げていきたい」と述べるとともに、人権連の新しい挑戦への協力・共同を訴えました。
 その後、「地域運動の新しい動き」と題して、本多昭一福井大学教授より記念講演がおこなわれました。  

7−8

 蛇草・箕面支部が全解連を卒業し「民権連」を創立
民主主義と人権を守る新たなたたかいへの第一歩

 長 瀬 支 部
 全解連はぐさ支部は十一月二十七日、長瀬人権文化センターにおいて、全解連卒業大会を開催し、全国水平社創立から八十二年、はぐさ支部結成四十二年、社会的な差別問題である部落問題が基本的に解決したとして、部落解放運動から卒業し、民主主義と人権を守る府民連合長瀬支部(略称・民権連長瀬支部)を創立しました。
 四十二年前、劣悪な住環境、教育、就職、結婚などの改善を求め、人間が人間らしく暮らしたい、「蛇草をよくするためにも、一人一人は弱いがみんなが団結して生活と権利を守ろう」との青年たちの訴えに住民が立ち上がり、部落解放同盟蛇草支部が結成されました。
 支部は当時から個人会員制と組織の民主的運営(班集会、全体集会、大会)を確立し、解同幹部と行政が一体となった「窓口一本化」行政のもと、「団結こそ宝」を合い言葉に、住民の諸要求を大切にし、自立・自治・連帯を促進する運動をすすめ、民権連長瀬支部の創立にいたりました。
 大会は、@暮らし・福祉・教育など市民の諸要求の実現と民主的な地域づくり、A政府の「人権擁護法案」をはじめ行政による「人権」の名による人権侵害から市民を守る、B市民にあたたかい公正で民主的な行政を求める、C解同の暴力、無法、利権あさりを根絶する、ことなど四つの目的と規約、方針、新役員を選出して終えました。
 支部創立から四十二年間、役員として部落問題解決のため奮闘してこられ、体調を崩して役員を降りられる五名の方の労をねぎらい記念品を贈呈しました。

 箕 面 支 部
 十一月三十日、桜ヶ丘ヒューマンズプラザにおいて、民主主義と人権を守る府民連合箕面支部(略称・民権連箕面支部)創立大会が開かれました。
 全国水平社創立八十二年、全解連(正常化連)三十三年、地域を基礎に住民、市民との協力・共同の精神を堅持して、粘り強く部落解放運動をすすめ、部落解放運動を必要としない時代を迎え、九月に全解連卒業大会を開催、この間、論議を重ね、全解連運動の成果と教訓を引き継いで、民主主義と人権を守る新たなたたかいの第一歩を踏み出そうと呼びかけて開催されました。
 大会は、平和や暮らしを守るため、住民や市民から頼りにされる民権連運動の前進のため、要求を基礎に旺盛な事業や活動を展開していこうと、規約、方針、新役員を選出して終わりました。