2009年2月15日 民主と人権 第57号

57−1
 WTC庁舎移転
 大阪府案の大きな矛盾点

 2月6日におこなわれた日本共産党大阪府議会議員団「2月大阪府議会にむけての懇談会」で宮原威府議団長は、「WTCへの府庁移転、大阪府案」は大きな矛盾点をもつとして次のように指摘しました。第一に府民、市町村などにとって不便になる、第二に、地震や台風では大手前の方が安全、防災拠点としても大手前がすぐれている、第三に、WTC移転案が現庁舎改修よりも154億〜212億円安いというが大ウソ、など具体的な資料をもとにその矛盾点を解明、WTCへの庁舎移転は、ベイエリアを新エネルギーの拠点に(パナソニック、サンヨー、シャープなど)ゼネコン・大企業を設けさせるためのものであると批判しました。府庁WTC移転は2月府議会の大争点になります。マスコミの世論調査では橋下知事への支持が高いとでていますが、これは要するにメディアを使ったゲリラ的な集中豪雨のようなパフオーマンスが原因です。知事に近い部分から批判、反対の声が強まっています。府民には事実をしっかり知らせていきましょう。

57−2
 学力テストを使っての「同和実態調査」はおこなわない
         府教委交渉で回答

 1月23日、民権連は教育長との懇談、08年度教育要求にもとづく府教委交渉をおこないました。要求内容は「学力テストを使っての『同和実態調査』をおこなわないこと」など5項目です。
 府教委は「現時点において、同様の調査を実施する予定はありません」と回答しました。当日の府教委とのやりとりを再録します。
(民権連)学力テストの問題ですが、「現時点において、同様の調査を実施する予定はありません」と書いていますが、どういうことを意味するのか説明して下さい。私たちが、学力テスト(同和実態調査)をやめてくれというのは、児童生徒支援加配の調査、旧対象地域の調査、(府全体の調査)の3本柱の調査をやめてほしいと言ってるわけです。
(府教委)今年度から3年間大阪府学力テストを実施いたしてまいります。これは小学校4年生以上中学校3年生まですべての子どもたちを対象に実施いたします。これは、学力向上をはかるため、授業改善に役立てていくため、子どもたちにとっては自分の課題とか学習状況を知って次の励みとか改善に個々、個人個人で役立てる、府としては行政施策の検証、こういったことでやってまいります。これにおいてはすべての子どもたち対象で、各問題ごと、どんなところが大阪の傾向として良く出来ているのか、どういうところに問題があるのか、問題ごとの分析、傾向を把握するために5%の抽出をしますけれど、これは無作為で学校も指定しておりません。学校名も公表しません。学力向上を果たしていくために、そういう 学力テストは実施してまいります。
(民権連)5%抽出とはどういうことですか。
(府教委)各市町村には学校名を求めず学校規模(大規模校、中規模校、小規模校)だけをお願いします。統計的に5%ぐらいあれば傾向が出るであろう、これを求めるために、例えば、どこどこ町の何人ぐらいの規模の学校のデータを提供するわけです。そういう求め方で学校名を求めませんし、学校指定もしておりません。
(民権連)ということは、児童生徒支援加配校の学力、旧対象地域の児童生徒の学力は?
(府教委)これから3年間実施する府の学力テストにおいてはそういうような分析はしていきません。
(民権連)しない?できない?
(府教委)しません。府の学力テストでは。

 4、学力テストを使っての「同和実態調査」をおこなわないこと。
(回答)
 府教育委員会においては、「平成18年度大阪府学力等実態調査」で得た結果を活用して、「平成12年度に実施した『同和問題の解決に向けた実態等調査』の対象地域に居住する児童生徒の学力等の実態の分析」をおこなった。これは、「進学率や中退問題など平成13年府同対審答申で示された教育課題の解決に向けて、義務教育段階における学力実態を把握するとともに、学力と児童生徒の意識や家庭生活の状況、保護者の子育て観、学校の種々の取組み等との関連を把握し、一般施策の効果を検証して、今後の施策に活かすこと」を目的としたもの。現時点において、同様の調査を実施する予定はありません。

57−3
  旧同和身分調査を告発
    全国人権連が各省交渉

 全国地域人権運動総連合(全国人権連・丹波正史議長)は1月29、30の両日、人権問題にかかわる事例を示して各省交渉をおこないました。
 文部科学省では、旧同和地区出身の身分調査を教育委員会がおこなう人権侵害を早急に正すよう求めました。参加者は、和歌山県では高校入試の「副申書」に「同和」などと記載させている、大阪府でも旧同和地区の出身調査をおこない保護者が訴訟をおこす事件があると指摘しました。
 全国人権連の新井直樹事務局長は、旧同和地区は住環境も改善され就職や結婚など差別実態もなく同和対策法もなくなっていると強調、「いまだに同和の垣根をつくり、旧身分をあばくようなこんな調査を続けさせていいのか」と迫りました。
 不登校やいじめ、外国人子弟が多い学校に教員を配置する「加配」が、実際には旧同和地区が多い県に配置されている現状の是正を要求。教員が事実上、解同(部落解放同盟)の活動をしていた福岡県では裁判で県が断罪されていると指摘し、「子どもと向きあう正規教員の増員をこそすべきだ」と訴えました。
 法務省では、「差別的言動」をもとに国民をとりしまる「人権擁護法案」の再検討を求め、同省も否定している解同の暴力的「確認・糾弾」を認める滋賀県の方針の是正を求めました。文科省や法務省の担当者は調査を約束しました。
 厚労省(地域福祉課)交渉では、隣保館内の解同事務所が昨年の29館から3館減って26館になったこと、引き続き「公平・中立が妨げられないよう指導していく」と答弁をおこないました。係争中も含めて14館が残されている大阪の代表は強く是正を求めました。
 交渉には約70名が参加。決起集会には日本共産党の井上さとし参議院議員が激励のあいさつをしました。 (1月31日 しんぶん赤旗)

 (府文書回答)前号の続き

4、「同和地区」の呼称は廃止すること。
(回答)
 平成13年度末の地対財特法の失効に伴い、特別措置としての同和対策事業の前提となる「地区指定」はなくなり、同和対策事業等は終了したが、このことが、即ち、同和問題が解決したことを意味するものではないと考える。
 同和問題の解決に向けた取組みにおける用語の使い方については、府民にわかりやすいものになるよう、努めてまいりたい。

5、人権金融公社貸付金34億円を即時返済させること。
(回答)
 財団法人大阪地域支援人権金融公社については、現在、名称、事業内容等を含めて見直しを検討しているところである。府としては、その中で府貸付金の償還等についても、検討していきたいと考えている。

6、南大阪食肉市場公社貸付金を即時返済させること。
(回答)
 南大阪食肉市場においては手数料や使用料の改定が行われるとともに、人件費の抑制策を講じるなど、経営改善努力を行っている。2007(平成19)年度当期損出は約8千9百万円であり、前年度から6千万円改善している。本府としても引き続き、経営改善を促していきたいと考えている。
 なお、金銭消費貸借契約上も償還期限が到来しておらず、直ちに貸付金の返還を求めることはできないと考えている。

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 インタビュー (上)
  山 崎 義 郷さん (民権連 谷口正暁)

 (大阪府職労の役員として長年部落問題に関わっ てこられた山崎義郷さんにうかがい ました。)

 (いい卒業論文になったなあ)
 私は1945年8月9日生まれ。これからは原水協の活動に取り組む予定でいます。これも8月9日との何かの縁かなと。昨年も部落問題研究所の50周年記念レセプションにも出席させていただいて、高名な方ともご一緒できて、みなさんお元気でよかったなと。また一昨年部落問題研究所から大阪の研究集会の事務局長を頼まれ、400名の参加で成功しました。まあ、いい卒業論文になったなあと思っているところです。

 (部落問題との出会い)
 私は高校が桃山学院高校で、その当時、高校には社研のいい先生がおられて、60年安保闘争を経験した先生が残っておられた。私は60年安保の翌年の61年に入学しました。安保闘争の余韻があり大阪でも高等学校の自治会連合会が残っていました、60年安保をたたかう自治会連合会というのが。その頃は高津高校、市岡高校など高校生の中に活動家がいて、高校生ながら60年安保に行こうということで行ってます。その記録も残っています。桃山学院高校よりもあとに桃山学院大学ができたけれど、学生も若いし伝統もないから逆に高校の自治会の方が大学の学生自治会の方にオルグに行って、「がんばらなあかんやないか」と言いに行ったこともあります。高校のサークル活動のなかで部落問題を学びました。

 (「破戒」との出会い)
 おそらく中学校の国語の先生が「破戒」を読むことを薦めたと思いますが、「破戒」を読んでいて、あの結末がどうかも含めて、自分のなかに疑問があって、どう解決したらいいんやというのが。(中学校の頃?)ませてたんや。それは高校のサークル活動でどこに入ろうかというのがあって。結局、部落研はあるにはあったけれど事実上社研のなかの部落研だったので、社研でもう少し踏み込んで勉強したということです。弁論部もあったけれど事実上ほとんどメンバーが一緒ということでした。

 (府庁に就職して)
高校を卒業して市役所と府と両方とも試験を受けてとおったんやけど、家から近いのは府庁であったこと、理由は夜間大学に行こうと思っていたから。ともかく公務員でないと行かれへんということで府庁に就職し、大阪市立大学の2部に入学しました。

 (大学では)
 大学ではすぐに自治会の執行委員になりました。府学連の役員もしました。府学連の中に府夜協(大阪府夜間学校学生自治会連合会)があって、当時のメンバーで大島雄三さん(府学連委員長)らと泊まり込みの執行委員会も一緒でした。

 (その当時の府庁は)
 自民党の佐藤知事の時代でした。ぼくらが採用された年に、いま思ったらこれも解同と関連するんだけれど、Aさんという人が面接したんやわな。Aさんというのは、羽曳野市長選挙に出た人です。津田さんの2期目の時に対抗に出た人です。その時彼は府庁の次長級でした。56歳ぐらいでしたから勇退する年齢でもあったんですが。市長選挙に担ぎ出されたんです。その人が面接官でした。その頃は教育委員会裁量とかいって部門別採用があったんです。大学卒業したら府立高校の先生になろうと思っていたんです。それで府立高校の事務でおいてほしいと希望したんです。一番いいのは大学に近い所の府立高校に行って、夜大学に行ったら段取りはいいし、
   五ページへつづく

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卒業したら府立高校の先生になるつもりやったんです。ということで、わかったということで教育委員会に採用されたんです。

 (解同の無茶苦茶との出会いは)
 私はそのあと、一週間教育委員会においてもらったけれども呼び出されて、豊中保健所へ行けと言われました。大阪市内に住んでいる人は保健所というのは大阪市立と思っているわけです。郡部ではその当時は府立でした。そうして放り出されたわけです。そこで4年間しんぼうしました。

 (放り出されたというのは?)
 自民党府政のもとでは気にいらんかったんやな、当時のメモではヤングベ平連と書いていたらしいです。こいつはヤングベ平連すきやから本庁においておくわけにはいかん、ということで放り出されたんです。当時の教育委員会の支部長の橋本さんは私を探し回ったわけです。5月の府職労の新入職員歓迎の平和友好祭で、「私、豊中保健所の山崎です。教育委員会にいたんですが放り出されていま豊中の保健所にいます」。その時はじめて橋本支部長が「君か、さがしとったんや。4月1日付けで教育委員会採用と名簿に載っているのに」。実際に高校へ行くとか、体育館へ行くとか、文化財の保護センターに行くとか、教育委員会の本庁に残る人とか、いろいろあるのに、一週間後の配属名簿に載っていなかったんです。平和友好祭に誘わないかんのにおらんということで。
 4年間苦労したけれどもヤングベ平連すきやけれども、こいつは本庁へ戻したら改心する、仕事は出来るということで本庁へ戻され、教育文化課(いまの私学課)へ戻されました。教育委員会へ戻りたいと希望していたということで教育文化課へ配属になりました。その頃ぼちぼち私学同研の話がでていました。昭和44年7月に戻りましたが、ちょうど「同対審答申」(昭和40年)が出て、「同和対策事業特別措置法」(昭和44年)にもとづく事業が始まる頃でした。そして半年もしないうちに黄色いゼッケンをつけて同和奨学生が動員されて勤務時間中に府庁内にビラを配っていました(まだ暴力とかにならん先やったけれど)。「これはえらいことや」と思って、はじめ「同対審答申」とか何とか言うてるなというのはあったけれど、解同がそこまで堕落しているとは知らなかったです。
 
 (黒田知事の時代に)
 1971年(昭和46年)4月に黒田革新府政が誕生します。その頃に黒田さんの閉じこめ事件や羽曳野の住宅問題やくじら御殿の問題が起こったり、黒田さんが知事公舎に住んではった、ここで府職労青年部が徹夜で知事公舎を守れとか、知事室の前にいま解同が座り込んでいるから、そこへ割って入れとか、そういうことを経験しています。津田さんの時にもあそこへ行って、新しい方の庁舎と思うけれども前に噴水があったと思うけど。夜中の2時ぐらいに自動車に分乗して帰ろうと思ったら、あそこにはまってしまったんです。寒いさなかに往生した覚えがあります。津田市長を守るたたかいでは、作戦本部から「いまから突入せよ」とか「おにぎり握ったからいまから届け」とか言われて、おにぎり持って上がったら、戸を閉められてしまったんです、市長室の入口を。その時はじめてチェーンを見ました。市長室のドアの外側は磨りガラスです。おにぎりを持って10人ほど市長室に入った。そして外に出ようと思ったら閉じこめられてしまいました。「えらいこっちゃなあ」と言うてたら、外で解同がチェーンの束を持って振り回しているのがガラス越しに映っているんです。その時の印象は強烈やわあ。
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 暴力・妨害分子というのがよく分かったなあ。それが6時間ぐらい。あの時、津田さんが言ってたのは「新庁舎にはトイレがあったんやわ。」だから辛抱して居れたんやけど、そうでなかったら居られへん。

 (府職労では山崎さんが解同問題・同和問題での中心的な役割を果たしてこられました が)
 中心的というか巻き込まれていったんやな。その頃中心的にやっておられたのは、佐谷さんや福井さん、野田さんがよく勉強もしていたしトップでした。野田さんは同建協問題での権威でした。福井さんは福祉関係でしたから同和関係の各種給付金の中身を調べていって支給人員と支給額を割ったら一人10足も解同の子どもには靴を配っているのを暴露しました。それは一般のマスコミでも報道されました。

(同和行政の終結をもとめる府民会議での活動)
(いったん中断していたんですが)府民会議は私が再建したんです。小畑さんが書記長の時、羽曳野の木村さんとかぼくとか大教組の藤井さん、民報にいた上田さん(確か全解連の立場で来ていた)とか、何人かのメンバーで再開せんとあかんという合意になって、ちょうど私も37歳で専従になって共闘関係、平和関係の担当になったということもあって私が中心になって再開したんです。5回ぐらい総会をしました。石川弁護士や浅野府会議員や内藤府会議員も力を入れてくれはったし、大教組も藤井さん以外にも副委員長クラスの人が力を入れてくれて、それで再開したんです。

 (自治研、府民会議の活動のなかで)
 自治研活動が活発でした。その頃は専門分科会をつくっていました。今から20年前に総評と分裂して連合が出来て、全労連が出来たということもあって自治労連自治研になったんです。それまでは自治労自治研に行って、けんかしに行ってたわけです。その時から12回か13回まで毎年連続で同和行政の分科会をやりました。それと並行して府民会議の名称も変えたから、「同和行政をなくす分科会」とか「終結を求める分科会」とかに名前を変えていったけれども毎年やりました。吹田の近藤さんも実践を報告してくれたり、和泉市の早乙女議員もアドバイザーになってくれたりと一定の広がりがありました。その活動で私自身も顔が広くなったり、ずいぶん得した、いい繋がりができたなあと思っています。
 府民会議再開後の最盛期、毎年、信貴山で一泊学習会をやり、多いときは200人ぐらい集まりました。やはり駆け込み寺としての役割があったと思います。一晩中、当時の全解連の役員さんが、個別の案件について相談にのっていました。とくに保育所の友の会(解同の下部組織)の締め付けの多い時でした。

 (その他の取り組みでは)
財政分析では一般施策へ潜り込ませていくのあったし、法期限の節目節目ごとにも学習会をおこないました。人権擁護法案が出来た時は東京での中央の会議にも参加しました。

 (府庁のなかでの同和問題は)
 同和問題はタブーでした。年を経るごとにだんだんタブーになっていった。

 (出世とのかかわりでは)
 2階級特進ですわ。たいがい出世していってます。

 (職員の意識は)
 いまの橋下知事ともつながりますが、ここが勝ち目やと思ったらそっちへ、出世するやつは行きよる。そうせんと55歳までによい所まで行かれへん。まず45歳までによい所まで行っておかんと最後、部長にはなれんわけや。やっぱりどっちが強いかということ。勝つ選挙、権力握ったがわの選挙にぐわっと動いていきます。 (次号につづく)

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 「経費削減素案」は撤回を!
    市民集会に300人が参加

 「やめてんか!市民・職員いじめの『経費削減素案』撤回求める市民集会」が1月27日、大阪市内で開かれ300人を越える市民が参加、「平松市長の市民・職員いじめの経費削減素案」に対する怒りあふれる集会となりました。主催は、大阪市対策連絡会や大阪市をよくする会、年金者組合大阪府本部、大阪社保協市内ブロックなどでつくる同実行委員会。
 立命館大学政策科学の森裕之准教授が「民主的な自治体運営のあり方・長野県の財政改革の教訓」と題して講演し、「何のために財政削減を行うのか、地域の実態や必要なサービスの確保など将来ビジョンがいる」と理念を持った財政削減の必要性を強調しました。
 大阪市役所労組の中山直和委員長が「市民・職員イジメ・公約違反の経費削減(案)は撤回を!」と題して報告しました。
 日本共産党の瀬戸一正市議が市政報告をしました。
 是枝一成事務局長が、経費削減素案の撤回に向けて学習会の開催と講師派遣、2・3月大阪市議会への取り組みの強化、街頭宣伝などの行動提起をおこないました。
 リレートークでは7人が発言。「経費削減素案の撤回や介護保険料の引き下げなどを求めて16日に要望書を市に提出した。今後、交渉を行う」(年金者組合市内協議会)などの発言がありました。

  羽曳野ハンナン裁判
 和解交渉決裂 2月24日 判決

 牛肉偽装事件で逮捕・起訴された大手食肉卸「ハンナン」元会長の浅田満被告側に、羽曳野市が公有財産(財産区財産)1千坪を月1万円という破格の安値で賃貸するなどしてきた乱脈な市政の是正を求めた住民訴訟の控訴審で、昨年末に和解交渉が決裂し、2月24日(火)に大阪高裁で判決が言い渡されます。
 控訴審は昨年11月26日の第3回口頭弁論で結審。「ハンナン」側企業で補助参加人の日本マトラスが提示した和解案は、浅田被告の豪邸の敷地内の賃貸部分と水路部分を買い取ることなどを盛り込んでいました。
 これに対して原告住民側は昨年12月16日に、1審判決(07年12月)に基づいて、福谷剛蔵市長や浅田被告らが損害賠償金(5227万円以上)を支払うことや、福谷前市長以外の当事者が水路部分を明け渡すことなどを柱とした和解案を提示。しかし同26日の第3回和解で、日本マトラスはあくまで買い取りを主張し、交渉は決裂しました。

 橋下
 「大阪改革」の正体
 タレント独裁知事が
 狙っているのは何だ?
   ジャーナリスト
    一ノ宮美成
     講談社 1600円

 学力テスト裁判に
  多数の傍聴参加を

日 時 〇九年二月十八日 午前十時二十分〜午後三時十分
場 所 大阪地裁八〇八法廷 内 容・証人尋問

 被告大阪府側証人 午前十時二十分〜正午
  ・藤村裕爾(府教委)
  ・松本 昇(元人権室)

 原告側証人 午後一時二十分〜三時十分
  ・谷口正暁(民権連)
  ・北脇輝夫(原告団長)

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 総選挙勝利へ向けて
    新春のつどいで決意

 1月31日、執行委員会終了後民権連となって初めての“新春のつどい”を開催、各支部から25名が参加しました。
 東延委員長はあいさつで、浪速町での宣伝・対話行動で民権連に対する住民の変化などを交えながら当面、学力テスト裁判での勝利、解散総選挙で共産党をはじめ真の革新勢力の躍進のために全力をあげて奮闘しようと訴えました。その後、各テーブルから抱負、近況、決意が語られ、お酒も入ってからはカラオケ、ダンスで和やかに交流・歓談しました

 長 瀬 支 部
 長瀬支部は1月18日、支部事務所まえで2009年度新春のつどいを開催しました。森本啓樹支部長あいさつでは、住宅での駐車場整備やエレベータの設置を実現、街かどデイハウス「和氣愛々」を中心にお年寄りが安全で安心してくらせるまちづくりのとりくみが話し合われていることを紹介、こうしたとりくみを実現するためにも、今年9月までにおこなわれる総選挙で真の革新勢力の躍進のため力を合わせてがんばりましょうと訴えました。
 来賓あいさつと乾杯のあと、前日から準備した、焼きそば、ぜんざい、関東煮、あべかわなどに舌鼓。珍しいのか餅つきでは、子どもたちも子ども用の杵をもってねばる餅に負けじと力をこめてつきました。そして、
カラオケ、抽選会と楽しい一時を過ごしました。

 箕 面 支 部
 箕面支部は1月17日、桜ヶ丘人権文化センターにおいて新年懇親会を開きました。
 会員相互の交流と親睦、そして昨年12月におこなった市交渉の課題の回答を求めること。また、定額給付金、総選挙、箕面市長の改革方針など厳しい世相の状況を語り合うなど有意義な時間をすごしました。

  第74回どの子も伸びる研究会全国集会
        2月7・8日 茨木市内

 第74回どの子も伸びる研究会全国集会が2月7日、8日茨木市内で開かれました。第一日目全体会では、「ゲド戦記」翻訳者である清水眞砂子青山学院短期大学教授が「今、大切にしたいこと」と題して講演。作品や大学での経験を踏まえながら、「人間の複雑さ、奥行き、不思議さ、そして世界の豊かさに驚く心を私たちは失いたくない」と語りかけました。模擬授業では、佐伯洋氏が「情景と心情を読みあう詩の鑑賞指導」をテーマに詩「冬の夜道」を取り上げ、若い先生たちを相手に鑑賞指導の極意を楽しくわかりやすく「伝授」。会場は笑いに包まれました。最後に大阪はぐるま研の鵜沼勝男氏が、1月末にお亡くなりになった村橋端氏の記念講演レジメをもとに、村橋先生が私たちに訴えたかったことを報告しました。
 第二日目は、午前・午後合わせて16の分科会で熱心に研究・討論がおこなわれました。


  民権連顧問の村橋端氏(82歳)が、1月にご逝去されました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。