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2006年1月15日 民主と人権 第20号
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 九条守りぬく年に
 新年のごあいさつ  委員長 東 延

 読者、会員の皆さん。あけましておめでとうございます。
 昨年の大阪市長選挙では、長年の不公正・乱脈な同和行政、歪んだ教育・啓発に対する市民の強い批判が示されました。
 とくに、芦原病院や「旧同和地区」の公共施設の職員数に対する批判は厳しいものでした。
 同和の特別法が無くなったにも関わらず大阪市は、毎年一三〇億円もの予算を支出しています。それも解同そのものである「人権協会」への補助金一億五千万円余、事業委託が約四十億円など課題は山積みです。一日も早く一般行政の中の同和枠・同和優先の行政を廃止すべきです。
 一方大阪府は、一般対策の中の同和行政・教育を継続するために、昨年「人権問題に関する府民意識調査」を行いました。私たちはこの「意識調査」を独自に分析し、府民に明らかにしていきますが、この「意識調査」には重大な欠陥が含まれています。
 いま、福祉、教育の切り捨て、重税の動きが強まっています。こうした悪政がすすめられれば、私たちの生活が破壊されます。このような悪政に反対し、福祉・医療・教育を守るために奮闘しなければなりません。
 同時に、平和と民主主義、人権問題の根本である、憲法が改悪されようとしています。
 日本の平和を六〇年間支えてきた憲法九条を守りましょう。憲法九条には平和のために不可欠な三つのことがかかげられています。戦争しないこと、戦争のための武力をもたないこと、海外で武力行使をしないことです。
 日本を海外で戦争する国にする憲法の改悪に反対し、世界的にも評価されているこの平和憲法、特に「憲法九条」を守り抜きましょう。

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 「人権問題に関する府民意識調査」の分析に係わる申し入れ
大阪府知事 太田 房江 様
二〇〇六年一月六日 民主主義と人権を守る府民連合 執行委員長 東 延

 平成十七年十一月、大阪府は、「人権問題に関する府民意識調査」《中間報告(案)》《基本集計結果(案)》を公表しました。この調査は、「同和問題をはじめとする人権問題の解決に向けて実施した『同和問題の解決に向けた実態等調査』の結果を踏まえ、府民意識の変化、動向を把握することにより、人権尊重の社会づくりに向けた、大阪府の今後の人権教育・啓発施策の効果的な取り組みのための基礎資料を得る」ことを目的に、二〇歳以上の府民七〇〇〇人を対象に実施され(有効調査票三六七五件 回収率五二・五〇%)、その結果をまとめたものとなっています。そこで、今回の《中間報告(案)》《基本集計結果(案)》から浮かび上がってきたことを概観し、今後の議論の素材にしたいと考えます。
中間報告(案)基本集計(案)の示すもの

@「人権に関する宣言や条例等の認知状況」では、個人情報保護法(五四・六%)、児童虐待の防止等に関する法律(二九・六%)など今日的課題への認知が高く、「同和」関係といわれるものへの認知が極めて低い。「人権尊重の社会づくり条例」の内容を知っているのはわずか三・八%にすぎない。
A「人権に関する施設の認知状況」では、「ヒューライツ大阪」を「知らなかった」が八〇%を超え、「実際に行ったことがある」はわずか〇・七%である。「リバティおおさか」「ピースおおさか」の認知は四八・九%であるが、「実際に行ったことがある」のは公務員、教員、学生の順に多い。これは行政や学校による「人権研修」の結果か。
B「自尊感情」では、「自分は困難なことでも何とかやり遂げることができると思う」(六八・二%)「自分は人とうまくやっていける人間だと思う」(六七・二%)など自尊感情のポジティブな人が多く回答している。
C「人権のイメージ」では、暗い(三三・八%)ー明るい(十六・九%)、苦しい(二五・六%)ー楽しい(十二・一%)、親しみにくい(二九・三%)ー親しみやすい(十四・八%)など人権についてのマイナスイメージが高い。
D「結婚に関して、人柄や性格以外で気になること」では、経済力、宗教、職業、とくに気にしない、国籍・民族、学歴、家柄、その次に「相手が同和地区出身かどうか」となっており、回答総数の九・五%にすぎない。
E「人権に関する記事や番組との接触状況と効果」では、「あまり参考にならなかった」のはパンフレット・冊子、ポスター(三九・六%)、広報誌、広報紙(「府政だより」など)(三七・一%)であり、行政の発行する広報・パンフの効果の低さを表している。
F「人権問題で関心のあるもの」では、子ども、高齢者、プライバシー、障害者、犯罪被害者とその家族とつづき、「同和問題」は八番目で、回答総数の六・一%である。行政のいう「同和問題をはじめとする…」意識は府民の間では低い。
G「人権問題について自分で勉強等をしたもの」では、新聞、テレビ、副読本にんげん、映画の順に続く。副読本にんげんは、二〇〜四九歳ではほぼ五〇%となっている。この年代が副読本にんげんによって「同和問題」についてのマイナスイメージを教え込まれた人たちにあたるのだろうか。
H「同和問題をはじめて知った」のは、学校の授業がトップで三七・八%を占めている。ここには学校での同和教育の果たした悪影響が読み取れる。
I「同和地区出身者の判断」では、「本人が現在、同和地区に住んでいる」が五〇・三%でトップで、「わからない」が二二・七%(二〇〇〇年調査では十・四%)に増えている。その判断を問うこと自体が問題である。
J「同和地区のイメージ」では、マイナスイメージが急激に増加している結果が示されている(一九九五年・二〇〇〇年・二〇〇五年を比較した表を参照)。働きもの/なまけものでは、「どちらともいえない」が六八・二%であるが、下品な、こわい、不潔な、遅れている、貧しいなどのマイナスイメージが95年調査より大幅に増加している。とくに「こわい」は五三・五%で、九五年調査(二七・三%)の二倍強となっている。このイメージ悪化の要因はどこにあるのか解明すべきである。
  三ページへつづく

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K「同和地区の人たちは、就職するときに不利になると思うか」では、二〇〇〇年調査より「なくすことができる」が七四・八%→六九・四%と五・四%減少し、「なくすことが難しい」が二四・八%→二九・九%へと増加している。二〇歳〜三九歳では「難しい」が三分の一を超えており、若い層ほど将来展望が悪い。
L「結婚する際の反対を近い将来なくせるか」では、「なくすことができる」と答えた人は、六〇歳以上では七〇%を超えているのに対して、年齢層が下がるにつれて低くなる傾向を見せている。逆に「難しい」は二〇歳〜三九歳の若い層が高くなっている。
M「低くみられるたりすることを近い将来なくせるか」では、「なくすことができる」が六〇〜七〇%であるのに対して、「難しい」が三五・四%となっている。これは二〇〇〇年調査(二八・〇%)より増えている。とくに二〇歳〜三九歳の割合が高い。ここでも若い層ほど将来展望が悪い。
N「同和問題についての学習経験」では、「小・中学校で受けた」がトップになっている。この学習経験と部落問題についての意識の関連はどうか今回の調査でも分析が求められる。
O「『同和地区の人はこわい』というような話を聞いた経験」では、「そういう見方もあるのかと思った」が六二・五%となっている。「とくに何も思わなかった」も十二・〇%であり、「そのとおりと思った」は十二・二%にすぎない。これは、(問十五)「同和地区のイメージ」で、「こわい」と答えている人が五三・五%いることの関係を分析する必要がある。
P「同和地区出身者に対する差別をなくすための意見」では、学校教育・社会教育、交流を深める「まちづくり」、分散して住む、一般施策で支援の順になっている。「差別を法律で禁止する」は五二・九%から三八・一%に減少している。
Q「差別をする人と、なくそうとする人のどちらが孤立するか」では、「差別する人が孤立する」が三六・八%から三一・七%へと減少している。「差別をなくそうとする人が孤立する」が三二・八%から三六・五%へと増加している。「差別をなくそうとする人」がより問われているのではないのか。

 部落問題解決の到達点を正確に把握するためにも元データの公表を求める

 大阪府は、今回の調査結果で表れた人権問題に対する府民の積極性の後退や同和問題に関わっての若い世代の意識の後退を根拠に、「今後の人権教育・啓発施策の効果的な取り組み」を検討するのでしょう。若い世代に見られる「同和地区のイメージ」や将来展望の後退を問題にして、小学校低学年から(いや幼児期から)の教育・啓発のさらなる強化を言い出すことでしょう。しかし、ちょっと待ってもらいたい。果たして「同和地区のイメージ」や「将来展望」における若い世代の意識の「後退(?)」は事実を物語っているのだろうかということです。もし長年にわたって多額の予算をつぎ込んで「教育・啓発」を行ってきた結果がこれであるとしたら、この間の大阪府による「教育・啓発」は一体何だったのか。効果を生み出すどころか、マイナスイメージを植え付けてきただけではないのか。
 「同和地区のイメージ」では、二〇歳〜三九歳ほどマイナスイメージが高く、暗い。例えば「やさしい/こわい」で「こわい」と答えた人は、一九九五年の二七・三%→三九・八%(二〇〇〇年)→五三・五%(二〇〇五年)と年を追うごとに増加し、過半数を超えています。就職、結婚、低くみられたりすることでの将来展望(近い将来なくせるか)についても同様です。若者は暗く、高齢者ほど明るい展望を持っているということでしょうか。どうも府民の実感とはかなりずれているようです。
  この調査結果を見た人からは、「これらの数字は本当か?」「ちょっと信じがたい」「それにしてもひどい、もし事実ならこれまでの教育・啓発の結果がそのまま表れているのではないのか?」「これを根拠にさらに教育・啓発の強化をうちだすのではないのか」「今日の若い世代の先の見えない暗さが反映しているのだろうか?」などさまざまな疑問、意見、感想が寄せられています。大阪府にはこれらの素朴な疑問に答える責任があります。
 しかし残念ながら府民の手元にはそれらを解明する資料は提供されていません。それは、大阪府が、再三にわたる私たちの申し入れを拒否し、検討委員の選任をはじめ調査のすべてを大阪府の意向を受けた解同関係者に独占させたからです。「この調査結果が信じられるだろうか」という疑問の根源はそこにあります。部落問題解決の今日の到達点をより正確に把握するためにも大阪府は、府民に元データを公表し、多様な立場や角度からの分析作業を進める素材を提供しなければなりません。私たちはそのことを強く求めるものです。
  四・五ページにつづく  

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 「同和地区のイメージ」十年前より悪化 !
    歪んだ教育・啓発が原因か ?

 二〇〇五年「人権問題に関する府民意識調査」中間報告(案)は、驚くべき調査結果を示しています。何と「同和地区のイメージ」が十年前の調査より大幅に悪化しているのです。その原因は何か、この結果が果たして事実を正しく反映しているのかなど、今後とも分析作業を続けていく予定にしています。 

  グラフの見方(民権連作成)
AAー非常にAに近い
A ーややAに近い
ABーどちらともいえない
B ーややBに近い
BBー非常にBに近い
NAー無回答・不明


  図は資料のPDF文書参照のこと

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 「弓矢人権裁判の課題」 (中)
    伊 賀 興 一 弁護士(弓矢事件弁護団副団長)

D同推教員・委員の権限濫用と逸脱というのを書いているんです、これも実は深刻なんです。同推教員の権限についてという文書が三重県教育委員会にあるんです。それを見るとあくまで校長の指導のもとに活動することになってるんです。 何でやというと学校教育法で小学校・中学校・高校は教員どうしは指導したり指導されたりの関係ではなくてみな平等なんですね、唯一校長が監督権限を持ってると規定されているわけです。これは教員の関係の方はご存じですよね。ところがそれを校長の権限を若干教頭にあたえるとか主任に与えるとかさせられたりして変に変形させられたりしている問題もあるでしょうが、基本的には校長の権限、監督のもとで同推委員をやる。同推委員というのは一般の教員に対して指導的地位にあるわけではない。同和問題の見解も同推委員が言うたら一般の教員が聞かなあかんというものではない、当たり前ですね。数学の教師と国語の教師とどっちが偉いかというたってみな平等ですよね、それを校長の権限も同推委員の二人は森山にしたって全く無視してやっている。もう一つは同推委員という役割を与えられるのは何のためやと言うと、校長一人で企画立案はできへん、同和教育の計画や立案をしてそれを校長に提案する、報告するそれを権限として書いてある。文書はちゃんと出てますのでそれの権限規定にもとづいてちゃんとやらなあかん。ところが実態はどうか。
 まず六月一日に同推委員が校長室で弓矢さんに、お前このあいだ差別したなと言うわけですが、それを言うていくと弓矢さんが済みませんこれ以上止めてくださいみたいなことを言うたんでしょう。校長がおって同推委員が二人、弓矢さんの四人で校長室におったんでしょう。その同推委員が校長の前で弓矢さんの目の前の机を蹴るわけです。それで校長にもう私帰りますわとも何も言わずこらっと言うて出ていくんです、傍若無人の暴言をはくわけですね。校長も止められない。実は校長なんかよりはるかに権限を持っているんですね現場では。何でや。実は同推委員はそのまま三重県の同和教育の研究のグループがあるのかな、そこの事務局長を解同がやってる。そういう団体に行ってこうこうしますからと密接な関係にある。だから同推委員が学校のなかで掃除当番みたいに当番をやっているんじゃないんですよ、別のルートの関係をとっています。それを見事にこの事件ではとってたんですよね。 同推委員が権限濫用と逸脱というのはその個人が逸脱したんではなくて、同和教育基本方針がそのまま学校における教員と校長、同推委員とのそれぞれの権限規定を無視して、少なくとも同和教育において同推委員は独自の権限を持ち解同との連携を直接的に学校に持ち込む役割を果たすから校長の監督権限というのはすっ飛んじゃってるんです。これが見事に出て、あげくの果てに六月から十二月までのあいだに確認会が二回、糾弾会が一回あって学校の校長が自殺、どうも自分では止められないという辛い思いがあったんでしょうね。 七ページにつづく
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そこで弓矢さんが自分にかけられた事件がきっかけとなり校長が亡くなられたということで、これ以上深入りしたらあかん、自分もやられたら嫌やということで全解連に救いを求めたということです。だから校長の自殺がなけりゃ自分が死んでたと思いますと彼も述懐しています。それは理解できることです。だから同推委員が飛び跳ねたというんではなくて、同推委員に自主的に権限規定を超えた役割を果たさせたのは県教委の同和教育基本方針の違法、あいまいがそれをさせているものなんだということで関連づけている。
E大変難しいとこで、はじめ議論をしてその後あまりやってないんですが、元々のやつは七つあるんですが、何時、どこで、誰が、どんなことをしたということでバラバラに書いてあるんです、三一項目不法行為やということであげてあるんです。今、みなさんも気がついておられると思うんですが、初めに差別やと認めちゃった人に対して、別に暴力を振るう必要もありませんね。この文書ではもうちょっと考えなあんたやっぱりよう考えてへんことになるでと言われたら、それ言われるだけで優しい言葉でもよけい怖く感じて心理的圧迫で服従しますね。そういう部分なんて認められないわけですよ。任意であって脅迫がないとか、暴力がないとか、手段が相当であるとか。その程度のことは同推委員としては反省を求めて当然、反省を求める行為としては当然の行為と判決はなっていったんです。しかし、例えば前に言うたことや次にやることを利用して今日はこれやりやと言うことは充分ありえますわね。今度八月に確認会をやるからそれまでこの文書を作っときやと言われたら、確認会で何されるか解れへんと思ったら必死になって書きますよね。ところがその場面だけ見ればこれを訂正しときやと言われるだけやから、それだけ見て不法行為やと言われたかて僕が裁判官であっても不法行為やと言われへんというふうになるわけですよ。一連のそれまでの経過や今後の予定を相互に利用活用しながらその人を心理的に圧迫をし、屈服させた形で意に反したことをさせるいうことが相互にあるのだという事で、我々は三一項目を解同と三重県教育委員会との共同による一連の一つの行為なんだと訴えている。
 ここのところが弁護団も難しかったんですが、部分的には些細なこと、部分的には本人が了解したように見えることも、そんなこと了解したようなそぶりを取らざるをえないほど苦痛はすさまじかったのだろうなと認定することもできる。僕はそこまで認定できるまでに何とか持っていきたいと思っていますし、弁護団も名古屋の法廷に何時も来ていただいている方々にもそのことが伝わるようにしていますが。なかなか伝わらないのは、弓矢さん、けろっとしているのはいいんですが、まあホットしちゃったからやと思うんですがね、やっぱり一つは後遺症やと思っている。クチャクチャにされて、クチャクチャにされてきた人がすぐにクチャクチャにされたことを涙ながらに、その時はこんなんで私はこんなに辛かったんです、こうなったのは誰にでも言えるかというとやっぱり自分の屈服した姿をしゃべるのも辛いことでもあろうし、信頼を得るためにはそんな姿はあまり言いたくないという部分もあるかな、そういう後遺症が今も少し引きずってるかなと言えると思いますので、本人の対応だとかもの言いとかがこの裁判の質を決めるものでは決してない、本人に対して文句言いたいときとか注文したいときは場所をわきまえてきちんと言うて頂きたいと思いますが、そのような彼の救いを求めてきた我々のほうがきちんとこの裁判でしていくことによって彼も解放されると考えています。 

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「人権教育をひらく同和教育への招待」を切る (その八)
              亀 谷 義 富

 第六章は、中野氏と中尾氏が分担をして書いている。「学力保障をめぐる課題」というテーマが、途中で論旨がすり替わるのだ。

 差別教育の典型例としての大阪市立栄小学校

 栄小学校は少人数・習熟度別学習を取り入れ二〇〇四年には大々的に文科省指定校発表を行った。私は、五年算数図形の面積の公開授業を見た。児童を基本型・復習型・予習型・発展型に分けて学習を行うというものであった。担任は三人で三教室に分かれて授業を受けるのだ。復習型・予習型は同じクラスで授業を行う。半分は後ろを向いている。時間が来れば入れ替わって前を向いて授業を受けるというわけだ。いわば、できそこないの複式学級である。授業は台形の面積の学習である。基本型復習型は台形の面積の求積公式は教えないのだ。予習型発展型は求積公式を教えるのだ。教育目標と教育内容が各型で異なっているのである。この後の分科会で私は次のような質問をした。
 「前の指導要領では台形の求積公式を学習することになっていて、どの子も台形の求積公式を学習していました。現在の指導要領では、台形の求積公式はなく、台形の面積の問題はあっても多角形の面積と同様な方式で面積を求めています。二〇〇五年度からの新教科書では、発展学習ということで台形の求積公式がでています。こういうことから考えて、ある児童たちには台形の求積公式を教えるが、ある児童たちには台形の求積公式を教えないのは、児童たちを差別することだと考えているが、どうでしょうか?」しばしの沈黙の後、返ってきた回答が次のようなものであった。
 「私たちはいつも人権スピリットを持っています。子どもたちにはいつも人権尊重の精神を教えています。文科省は指導要領は最低基準だといっています。どの子にも最低基準には達するような教育を行っています。それ以上のことについては、学習する子どもたちと、学習しない子どもたちがいてもかまわないのです。差別ではありません。」 すごい回答ですね。

算数の自主編成を思い出せ!

 一六八頁から、高槻市立富田小学校が一九六九年から進めた算数の自主編成の取り組みが載せられている。数学教育協議会の研究成果にそれなりに学んでまねをしているわけである。一七〇頁に書かれている自主編成の総括は正しい。
@子どもの「誤答」の原因は、現行の教科書・入試体制にある。
A教科書・入試体制に甘んじてきた教師の責任を問う。
Bこれまで、「できない子」として評価されてきた子どもの実態を細かく把握し、その実態を検討していく。
Cいわゆる「できる子」の学力を見直し、飛躍のない授業を想像していく。
 これらの総括がそれなりに活かされていたら栄小学校のような差別教育は生まれなかっただろう。なにゆえ栄小学校のような差別教育に行き着いたのか。その解答は、一七八頁からの一斉授業の限界と可能性と題して、「旧同和校」で行われていた入り込み促進指導、抽出促進指導、補充指導等の指導例があげられ、最後に、分割・少人数授業で締めくくられていることをみれば明白である。自主編成運動で学力促進向上をめざすという観点を忘れ去り、授業形態をいじくればことたれりというように堕落したのが、その原因である。少人数学級ということすらも捨て去り、分割・少人数授業を掲げれば、文科省流の能力別授業に行き着くのは当然である。協力共同して、学力を促進し向上させるということを捨て去れば差別教育に行き着くのは当然なのだ。
 栄小学校などが導入している分割少人数学習(俗にいう習熟度別学習)は、二〇〇五年四月二三日の朝日新聞の記事で、文科省の学力調査の結果によれば、何の効果もないことが報じられていた。転載すると英・数に成績差なし、全国の小中学生約四五万人を対象とした文科省の学力調査の結果、習熟度別授業や少人数学習を受けた子と受けない子の間の成績には差がないことがわかった。前回の〇一年調査時に比べてて導入する度合いが大幅に増えているが、数字を見る限りは効果に疑問が出ている。学力対策として積極的に推進してきた文科省や自治体にとっては、実効性を上げるための指導方法の一層のエ夫を迫られる結果となった。・・以下省略。
 文科省の調査でも、学力促進、向上の効果がないということが明らかな習熟度別授業(能力別授業)を、大阪教育大学の教授が進めるのだからたちが悪いこと甚だしいのだ。