2005,7,21

民主と人権 14号 7月15日

14−1
 「人権擁護法案」阻止へシンポジウム
 廃案へ世論と運動を高めよう

 六月二十六日、自由法曹団大阪支部の協力を得て「人権擁護法案」の危険性を知ってもらい、国会上程阻止への世論と運動を高めるため“シンポジウム「人権擁護法案」のねらうもの”を大阪グリーン会館で開催しました。
 まず、井上洋子弁護士(自由法曹団大阪支部)より「人権擁護法案の自由法曹団の意見書について」が報告されました。井上弁護士は、(一)人権救済機関を作ることの必要性、(二)国連の推進する人権救済機関と人権擁護法案との関係、(三)人権擁護法案の問題点について話され、特に人権擁護法案の問題点として、@機関が行政(公権力)から独立していない、A人権侵害規定の不明確性と差別偏重主義、B「予防」に名を借りた介入の途が設けられている、C「団体」が調査を通じて介入する途が設けられている、D特別救済手続の問題点(法案四二条から六五条)、Eマスコミ規制(法案四二条四号)、F加害者とされる被申立人の立場、G全般的に、「人権侵害を救済しよう」というやる気のある法案には見えない、にもかかわらず、一方で、濫用しようと思えば容易に乱用できる法案で、落とし穴がいっぱいあり気をつけることが大切ですと強調されました。
 続いて新井直樹全国人権連事務局長が、「人権擁護法案」をめぐる状況について報告。「法」を根拠に解同の「確認・糾弾」を認めさせようとの狙いがある「人権擁護法案」の国会再提案を断固断念させるためにも国民世論と運動をいっそう高めることが大切と訴えました。
 (二・三面に井上洋子弁護士の報告要旨を編集部でまとめて掲載) 

 お知らせ
 六月二十六日より、ホームページの住所が変わりましたのでよろしくお願いします。

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 自由法曹団の意見書について
  井上洋子氏(弁護士・自由法曹団大阪支部)

 公権力から独立していない
 「人権擁護法案」は法務省の人権擁護局のシステムがそのまま横滑りしたような内容になっています。今度、人権擁護委員会のかわりに人権委員会というのを作るんですけれどもこの法案によれば、人権委員会というのが一番えらいとこなんですけど、それは法務大臣の所轄に置かれるということになっていますから、結局法務省の管理支配下に入るわけです。いまの法務省人権擁護局とシステムはまったく一緒です。人権委員会というのは国に一つしかありませんから、地方に事務所を置くんです。その地方事務所を地方の法務局の局長に委任することができるということになってます。さらに、人権委員会の個々の末端の構成メンバーとしては人権擁護委員を置くということになっていますから、今ある法務省人権擁護局と下部機関である法務局、地方法務局とそこに属する人権擁護委員がほぼそのまま維持されていく法案になっています。
 次にいったいこれまで誰が人権侵害をしてきたんですかということです。もちろん法務省だけでありませんけれど、法務省というのは拘置所や刑務所、入国管理局を管轄する役所です。人権侵害の多くは拘束施設、人間を拘束する施設で密室のなかで行われてきたというのが現実として歴史として存在しています。しかも一九九八年の国連規約人権委員会の勧告では日本の入国管理局を名指しで批判していますけど、そこを管理する法務省、ここが人権を守る砦となる親分となるということですから、泥棒に金庫番をさせるというと言い過ぎのところもあるかもしれませんが、自分とこが一番悪いことをするのに、自分とこが調査し勧告を出すというシステムはどうもおかしい、普通に考えればちょっとずれている、こんなことが本当に効果的になるのかしらと、そういう疑問を覚えざるをえない内容になっています。

人権侵害規定の不明確さ
 今回の法案の中身は、いったい何が人権侵害、何が悪いのかの定義がはっきりしていないのは大きなマイナス点だと思います。差別、差別的取り扱いという言葉があっちこっちたくさんでてきて、差別というものを非常に重視しているように思われます。推測するにこの法案ができた背景のもう一つの方、同和問題をお手本にしているというのかなと思われます。その可能性は大いにあると思います。人権侵害というのはどうゆうものかなとなかなか規定しにくいがゆえにこの法案の持っている危険な面はたくさんあると思います。

 予防に名を借りた介入
 さらに、予防に名を借りた介入の途が設けられているということなんです。この法案では予防でもいいんです。予防についても調査をしたり被害者になりそうな人、被害者への助言や援助、加害者になりそうな人への説示や啓発・指導、両者への関係調整などができる、となっています。だけど予防というのを一つここに入れておくだけで、どういうときに予防をするのかという範囲は不明確ですよね、しかもわからないです。結局この法律を適用する人がいま予防する必要があるんだ、無いんだという判断で決まってしまうと思うんです。結局ここを誰が担うのかこのシステムを誰が担うのかによって変わってくるのだと思います。予防のための条文があるということを一つ警戒すべきだと思います。 
 団体が調査を通じて介入する途が設けられています。これは法案の四〇条にあるんですけど、被害の救済、予防に関する職務のために必要な場合は、人権委員会は学校その他の団体などに調査の嘱託ができるとなっています。
三ページへつづく

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 団体による介入
 これはそのまま読めば人権委員会が十分動けないからその手足がないために他の機関に調査活動を手伝ってもらうことができますということになります。学校その他の団体、この団体に誰が入ってくるかここがだから問題になってくると思います。良心的で健全でバランス感覚のある団体がきちんと入ってきてくれてやってくれるならそれはいいでしょう、そうでなくて私利私欲が強くて人を人権侵害をして自分の団体の拡大を求めるという下心のある団体がでてくるとなると大きな問題になるわけです。この学校その他の団体などに調査嘱託できるという条文には警戒の目を向ける必要があります。調査嘱託できる対象は他に、国の他の行政機関、地方公共団体、学校その他の団体、または学識経験を有する者となりますから、国・行政機関、地方公共団体、学校までは公の存在ですが、あとの団体と学識経験を有する者というのは特に限定があるわけじゃありませんからやはり運用次第でどうにでもなる、どう運用されるのかですごく危険になる可能性をはらんでいます。

 特別救済手続の問題点
 法案の四二条二号イという「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」であって、相手方を畏怖させ、困惑させ、または著しく不快にさせるもの、こういうことがあった時には人権擁護法案のもとでは、呼び出したり、質問したり、調査したり、立ち入り調査ができるということになるんですけど、これは言葉上の中身だけをみたらそれはそうですね。差別的言動があって相手の人が困惑したり、畏怖したり、嫌な思いをしたり人権侵害ですからそれは当然といえます。けれども小さな軽い言葉でもって人権擁護の名で介入してきて、こんなこと言っただろうと出てこいと言って詰められて勧告をうけて、謝らさせられたり、話し合いをさせられたりというのは非常に危険をはらんでいるのではないかと思います。これは、部落問題だけをやっている団体だけがやってるうちはまだいいと思うんです、さらに大きな組織、国家機関が利用するようになってくると思想警察というか、私たちの普通の表現、相手を非難したり批判したりする正当な言論がちょっと過激な言葉でなされるときにここに介入する途を作ってしまうものだと思います。国家レベルの組織が利用しようと思えばできると思うんです。いま憲法九条の問題とか教育基本法の問題とかありとあらゆるものがセットでやってきてて、私たちの言論をなるべく統制し、国家の都合のいいように考える人間を育て、国が国を運営しやすくするシステムを作ろうとしているわけで、この人権擁護法案がそのシステムに一つに取り込まれて利用される可能性も今の情勢にしたらあると思います。
 その最たるものがマスコミ規制ですよね。マスコミは確かにやりすぎのところがあると思うんです。それはマスコミの方に反省してもらうにしても、マスコミの報道は言論表現の自由の一環であって、私たちの知りえないものを取材して政府や国家機関の動きを私たちにも広報し、かつ国民の知る権利を守って私たちの言論の基礎となっているものです。その報道の重要性は否定できないものだと思います、使われ方が不適切だといってマスコミを否定するというのは非常に危険な途だと思います。いま人権擁護法案でマスコミを規制するシステムを作るということはやっぱり考え直さなければいけないことだと思います。

 容易に濫用できる
 この法案には、濫用しようと思えば容易に濫用できるというような落とし穴みたいなのがいっぱいあっちこっちにあるわけです。だから不気味な法案なんです。誰かやる気がある人が出てきたら、すごく濫用ができるというそういう不気味さを持っている法案だと思います。やる気がある人に牛耳られると私たちの言論を締め付ける道具になりますよと理解していただければいいかと思います。

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 「人権問題に関する府民意識調査」をめぐって
        石倉康次氏(立命館大学教授)

 検討会委員は解放研の関係
この調査を推進してゆくメンバーは解放研の関係でつながっている人たちを選んでしまったようです。トップにあがっている奥田均さんは、二〇〇二年六月の中企連大会の講演でこんなことを言っています。「特別対策事業に終止符が打たれたものの差別の現実は連続して残っています。だけど法律のないこれからどうするのか。市民運動としての部落問題認識の再構築が求められています。部落の人々が被っている様々な人権侵害は、実は社会全体に残された人権侵害の反映であり、部落の場合、その集中的な表現であると受け止めよう」と。つまり、部落の中にあるいろんな問題を部落の中で取り上げるのではなく、社会の中にある集中表現だと言うのです。
同じような表現は二〇〇一年府同対審答申にも見られます。「同和問題を人権問題という本質から捉え、同和地区出身者を含む様々な課題を有する人びとに対する人権尊重の視点に立った取り組みとして展開させるべき」と。この二つの論理、捉まえ方は非常に共通しています。部落問題、あるいは同和問題は厳然とあるんだ。だけどいままで拠り所にしていた法律がなくなって一般施策を使って取り組むという論理。そのためには同和問題はいろんな問題の集中表現だと証明しなければならない、そこから調査というものが出てきていると思います。

 人権問題にかかわる府民意識調査
今回、太田知事のもとで企画されている調査は、府民全体を対象にした「意識調査」、旧同和地区はどう変わったのかを調べる「行政調査」、相談事業を通じた調査の三つです。「意識調査」は府民が同和問題についてどんな意識」があるかと、特別な法律は終わっているんですけど同和問題に関する意識調査をすることになっています。大阪府は調査票対象者を八〇〇万府民の中から七千人だけ抽出して九月に調査を実施するようですが、この七千人をどのように選ぶのか非常に気になっています。行政が調査をしようとすれば統計法という法律で調査します。この統計法にもとづく調査に指定統計と届出統計とがありまして、府がやろうとしている「意識調査」は統計法にもとづく届出統計調査ですと説明しています。これは総務大臣の許可を得て実施する調査ですという意味なんです。だいたい地方公共団体もしくは教育委員会がよくやる調査です。この法律にはこんな規定があります。総務大臣は必要と認めたときには調査を実施する行政機関に、調査の変更または中止を求めることができるとなっています。(編集部注 大阪府は平成十七・五・二〇「届出手続きに関する事務処理要領の改定」にともない総務省への届出をおこなわないと説明)

「府民意識調査」の問題性=「差別文書」の疑い
法が終わったあとも同和問題を特定して「意識調査」を実施しようとするのは、すごく特異な気がします。変化を調べようとする意図がありますから、同じ調査項目を設定して調査するしかありません。従って二〇〇〇年の調査と同じ調査項目を設定して調査するのかとなってしまいます。二〇〇〇年の調査項目は非常に問題があります。一つは、同和地区あるいは同和地区出身者というものが現にあって、その人たちに対する差別がなおあるんだという認識を前提にして、そういうことを知っていますかということを問う、恣意的です。

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 四ページのつづき
また結婚相手を考えるさいに相手の人柄や性格以外に気になることはありますかという問いがあります。結婚相手を選ぶときに人柄や性格というのはかなり重要な要素なんですけど、それ以外でということをわざわざ設定して、それ以外の項目を選ばせる、つまり結婚を選ぶときに主要でないものをあえて聞き出して、ほとんど表に出てきていないものをわざわざ嫌がらせ的に問う、それほど恣意的になっています。さらにもう一つ問題なのは、これは差別的な文章としての疑いがあります。同和地区というものを聞いて何をイメージしますかという問いを出して、狭い、下品な、こわい、不潔な、遅れている、貧しい、古い、なまけもの、弱い、とかをわざわざ書いて、それを見てどう思いますかという項目になっています。これも非常に特定のイメージを浮き立たせる、そんなことがあたかもあるかのように調査票を見て思わせる文言になっています。それから住宅を選ぶさいに同和地区をさけることがあると思いますかという、これ自体差別的な性格がある文章でないかなと思う調査項目となっています。これをまたやるのかという非常に問題の多い調査となっています。

 旧同和対策事業対象地域を対象とした二つの実態把握の問題性
もう一つお話ししたいのは、意識調査とは別に、行政の内部的なルートを通じてやろうとしている二つの調査です。大きな問題は、対象地域が無くなっているのに特定地域を指定してそこの実態を把握するためのデータを加工してやろうとする自体が、法的に問題があるのでないかと、目的外使用になるのではないかと。これは対象者がそのことを知ったら当然自分たちのデータを勝手に使っているということになるだろうし、怒りたくなる使い方ですね。しかも対象地域がすでに無くなっているのにあえてその地域だけ線引きをしてそこだけを調査することに非常に問題があります。対象地域がなくなっているのに地域を限定した実態把握にこだわるのは法の前の平等に逸脱のおそれがあります。これは一般施策をつかって同和問題への対応をしようとする大阪府の方針(解放同盟の方針)がもたらす矛盾の現れです。

 府の姿勢の基本的問題点
一言でいいますと同和問題原点論、あるいは人権問題に同和問題が集中的に現れているという論ですね。府が今日になってもなおこういう立場をとるのかが問われていると思います。これは同和問題原点論・人権問題の集中的表現論に立脚した「一般施策」の同和向け活用と、同和問題を中心とした人権啓発事業の存続、すなわち府人権協会への委託事業の根拠を府の責任で示すことになります。
むしろ府とすれば実施しなければならない一般施策があってそれに必要な財源がかえって圧迫されてしましう、一般施策の必要な人が利用できないということにつながるような調査に府の責任で踏み込んでゆく。とても府民や府下の市町村がおいそれとこれに対して協力するといえない調査になると思います。そういう調査であることを府は知るべきなんだなという気がします。この調査自体が、同和問題の解決と言いながら新たな問題を生み出したり掘り起こしたりする非常に問題性のある調査です。是非議会で問題にする、問題にするだけではなく法務大臣の権限でこの調査を中止させる、などの取り組みをやってもおもしろいと思います。
     
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 「人権教育をひらく
    同和教育への招待」を切る (その二)
              亀 谷 義 富

 差別の現実がないから響かないのだ
 この、教科書は学生を四分割する。十、十一頁に、Aは自己との関わりを感じやすく自己効力感を持っている人。Bは自己効力感はあっても、かかわりを感じにくい人。Cはかかわりは感じても無力感が強い人。Dはかかわりは感じにくく、無力感が強い人。Bの人は「差別差別と言わずに、もっとがんばればいいのに…」Cの人は「やっぱりひどいんだ。どうしようもない。」Dの人は、「学習を肯定的にとらえられない」等と、規定しているのである。感じ方が悪いから、差別の現実やたくましい生き方が響かないのだと著者は言っているのだ。観念論の極みだ。部落差別の現実が、どこの誰が書いたのかわからないような落書き程度しかないから響かないのだ。いくら、部落差別はあるあるといっても、出されるのは大昔の結婚差別の事例では今ないではないかと思うのがあたりまえなのだ。部落解放同盟関係者のようなたくましい生き方に学べと、大阪教育大学の解同系学者が叫んでも、浅田満のように牛肉偽装事件を引き起こしたり、セクハラ事件を引き起こす某幹部たちのような事例を見聞きすれば、なにが「たくましい」というわけだ。ご丁寧にも、さきほどCやDと規定した学生には、十二頁で「自分が悪いわけじゃなかった。自分の弱さを責める必要はない。今のままの自分でいいんだ。弱さにつけ込むまわりや社会のあり方にこそ問題がある。」という学習をすすめている。みんな、世の中が悪いのよと教えよと言うわけだ。そして、BやDの学生には「自分の生い立ちや生活、その中で感じてきたことをていねいに掘り起こすことが求められる。」としている。みんな反省しろよというわけだ。さすが、解同系学者は、本当の現実、実態に学生の目を向けさせない。真理真実を教えないのが大阪教育大学なのだ。
 寝た子を起こすな論に関して
 十五頁に、反する事実として一九九三年の総務庁全国調査があげられ、八一%の成人が部落問題の存在を知っており、三二%が家族などから、十九%が学校の授業を通じて知ったとあるから、寝た子論は問題だと主張している。ところが、十六頁には「大阪教育大学で授業を取っている人たちに聞くと学校で学習したが九割程度だ」と書かれているのだ。大阪では、悪名名高い「にんげん」が一九七〇年以来未だに配布され続けているのだ。まさしく寝た子は起こされ続けているのだ。十五頁に「その内容が問題である。学んだという内容の多くは、部落の起源や歴史的なことがらで、現在の実態や運動について学んだ人はごく少数である。」とある。現在の部落問題の実態について正しく学んだ人は少数であろう。解同等が差別を食い物にしてきた運動について学んだ人も少数であろう。そして、大阪教育大学の解同系学者の実態を学んだ人はさらに少数だろう。
 筆者は、寝た子を起こすな論に対して、あれこれ批判をしているが、結局「同和教育」無限推進論に行き着くのだ。二〇頁に著者の本音と結論が露呈する。「教えるべきかどうかと考えるのではなく、自分たちの学び方のどこに問題があっただろうのだろうかと考えてみるのである。…同和教育に取り組むべきか取り組まざるべきかという二者択一で考えることと、どのような同和教育が望ましいのかと考えることとは、大きく異なる…」とまとめている。教えるべきか教えないべきかというのは、教育の根源的なものである。教えた方がよいか、教えない方がよいかを考えるところから教育がはじまるというぐらいは言わないと、完全に御用学者であることが学生にも分かってしまうではないか。

14−7
  「自民党の古賀誠・元幹事長は五日、都内で記者団に対し、党人権問題等調査会長と、自民、公明両党でつくる与党人権問題等懇話会の座長を辞任することを明らかにした。
 衆院本会談での郵政民営化関連法案採決で棄権したことが理由と見られる」と報道されています。

 日本共産党・穀田恵二衆議院議議員「人権擁護法案」についてー市民の言論規制する危険
 政府が今国会に再提出を予定している人権擁護法案について、世論の批判が高まっている。私のところにも、連日のように反対を訴える電子メールが届いていて、この間題の関心の高さを伺える。同時に頼もしい限りだ。
 皆さんのメールに感謝しつつ、私の考える点を表明する。
 日本共産党は、そもそもこの法案が憲法二十一条で保障された国民の言論・表現の自由を脅かす根本的な問題・欠陥を持っている法案であることから、この法案に反対し、国民的合意ができる人権救済の仕組みをつくるため議論を根本からやり直すべきだと主張している。
 また、今国会に提出されている政府案は、そのほかにも様々な問題点がある。
 法案では、法務省の外局につくられる人権委員会が、不当な差別や虐待など人権侵害の救済に当たるという。
 官庁や企業による不当な差別的取り扱いを規制するのは当然だが、市民の間の言論表現活動も規制の対象になるという。何を差別的とするかの判断は裁判などで意見が分かれる微妙な問題であり、恣意的な運用で、人権委員会による市民の言動への監視・市民生活への介入が懸念される。
 「差別」を口実にした市民生活への介人といえば、かつての「解同(部落解放同盟)」による、一方的な「差別的表現」との断定や集団的つるし上げ「確認・糾弾闘争」を思い出す。教育現場での混乱、校長の自殺など痛ましい事件も起きた。現在でも、この「糾弾闘争」は続いており、今回の法案が「解同」の運動に悪用されれば「人権擁護法」によって、人権侵害の「確認・糾弾闘争」が行われるという皮肉な結果になりかねない。
 また、報道機関への「差別」を口実にした出版・報道の事前差し止めなど、メディアへの介入・規制の危険もある。出版の自由への法による規制は、到底認められない。
 人権委員会が法務省の外局となっているが、これでは同省の管轄化にある刑務所などの人権侵害は救済されない。
 こんな法案は国会に提出すべきではない。国民的な合意ができる人権救済の仕組みをつくるため、議論を根本からやり直すべきだ。    (六月二十六日)

みんなで21世紀の
未来をひらく教育のつどい
−教育研究全国集会2005−
日 程 8月18日  全体集会
    19日〜21日 分科会
       21日  教育フォーラム
場 所 大阪市と一部衛星都市で
連絡先 教育研究全国集会2005大阪実行委員会
         TEL06−6768−2330
          FAX06−6768−2239

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 宅老所で“ちぎり絵”作品展
  心が癒やされるすばらしい絵

六月十八日・十九日の二日間、東大阪市内にある喫茶宅老所「和氣愛々」において、和紙「ちぎり絵」西畑澄子(アネモネ代表)の作品展を開きました。鑑賞にこられた方は百四十名をこえる大盛況となりました。
 このとりくみは、一つは、宅老所「和氣愛々」の財政拡大、二つには、二十七年間、全解連の専従としてがんばってもらった感謝の気持ちと、六月十八日が七十才の誕生日を記念して、三つには、多くの人たちが西畑澄子さんの和紙「ちぎり絵」の鑑賞で心を癒やしてほしいとの思いでとりくみました。
 二日間、ちぎり絵教室の生徒さんたちは担当を決め、受付に接待にと奮闘。鑑賞にきてもらった人に、「ちぎり絵」がどうしてできるかを一生懸命に説明していました。
 鑑賞の合間に、オープンカフェに座って、コーヒー(飲み物)やお茶菓子、ぜんざいを食べたり飲んだり、また会話もはずんでいました。
 「油絵のようだ、こんなちぎり絵見たことない」「明るい絵だ」「心が癒やされる」「全国どこへ出してもすばらしい絵」との感想が語られ、新作二十点が全部完売。うれしい悲鳴です。
 ここでの売り上げは宅老所と民権連に寄付をさせてもらい是非、また機会があればとりくもうと思っています。ご支援、ご協力を頂いた方への感謝のありがとうの気持ちでいっぱいです。     (喜多信子)

住民が仲よく、住んでよかったと云える街づくり、
市民の人権が本当に尊重される市政を求める要請書
  大阪市長 關 淳一殿
        二〇〇五年七月四日
          民主主義と人権を守る府民連合
         大阪市協議会 会長 坂東 勝

 社会問題としての部落問題は基本的に解決しました。私たちは、この到達点にたって部落解放運動を卒業し、民主主義と人権を守る府民連合(民権連)大阪市協議会を本年五月結成したところです。この会の目的は、民主主義と人権の花ひらく社会の創造と市民の人権が本当に尊重される大阪市の実現にこそあります。
 こうした立場から、いま職員厚遇問題を機とした大阪市政改革にとりくまれておられる貴職の同席を求め、基本的な問題点について話し合いの場をもたれることを強く要請します。

一、カラ残業、ヤミ専従など職員厚遇問題は日々の生活に苦しむ市民にとって、あまりにも庶民感覚からかけ離れた異常な事態です。二度と起こさせないためにも、貴職の責任で徹底的解明を求めます。
二、大阪市は全国最多のホームレスをかかえ生活保護世帯も介護保険の低所得者の比率も政令都市では最高です。福祉を守りぬくという自治体本来の責務である、くらし、福祉、教育にその役割を果たすべきであり、「市民サービス」や福祉の切りすて策は、ただちにやめるべきです。
三、大型開発と三セクへの公費投入や、いまなお百三十億円もの一般施策にもぐりこむ同和施策のムダには改革の手は全くつけられていません、すみやかにやめるべきです。      以上