2012年 9月15日、10月15日 

  民主と人権 100号 合併号

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 もうやめるべき「人権意識調査」
  2010年度版大阪府『人権問題に関する府民意識調査』の検討
                 石倉 康次(立命館大学教授)

 はじめに
 大阪府は、1980年以降、「人権問題に関する府民意識調査」を5年ごとに実施し、2010年度に第7回目の「府民意識調査」を実施した。2011年3月に同調査報告書「基本編」を発表し、2012年3月に、同調査報告書「分析編」を発表している。調査のねらいは、「人権教育・啓発をより効果的にすすめるための基礎資料として活用する」ことにあり、「差別意識の根源を明らかにできるよう工夫を加え」た、としている。この「根源を明らかにする」という表現は、当時の橋下知事の指示を受けたものである。本報告書によって「差別意識の根源」なるものが明らかにされたとは言い難い。むしろ神原文子氏(神戸学院大学教授)の分析では、同和を冠した教育・啓発の限界や問題性が、2005年調査にもまして明白になっており、「『差別意識はさらに強くなっている』と認識している人の人権意識が高いわけではありません」(「分析編」53頁)という分析結果を紹介している。ところが中川喜代子氏(奈良教育大学名誉教授)は自ら設定した人権問題や差別の解決に対する意識が高いと想定されるグループが、相互に必ずしも相関していないという結果が導かれたことを前にして、自らの分析方法の再吟味をするのではなく、「人権感覚がそれほどきちんと『腰の据わった』ものではない」と(「分析編」112頁)、回答した府民を判定する試験官のような態度を示し、氏自身の科学者としての姿勢を疑わせる記述になってしまっている。また、西田芳正氏(大阪府立大学准教授)は、調査票に同和行政や同和問題に関する教育啓発に対する批判的コメントが自由回答欄に多数寄せられていたことを「分析」対象とした。しかし彼は結論的に、これらの多数の批判的な回答が出てくるのは、「伝えられるべき情報が届いておらず(これは現状の教育と啓発活動の問題点である)、伝えられる情報の歪みがあり(日常的に流される情報の影響は大きい)、これに生活上の困難が加わること」から発する「逆差別」意識だと論断している(「分析編」142頁)。回答者が労力を厭わず記述してくれたものを、経験に発した現実的判断として、尊重することもなく、情報の不達や歪みによるものであり、回答者の生活困難がそのような意識の歪みを生むのだと、根拠を示さず決めつけている。さらに、本調査で使われた調査項目自体に、これを一般の府民を対象に広く布し実施されることで誤った情
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報を広めると危惧される設問項目も含んでいた。
 以上のような、問題点を有した調査が、行政により公費を使って実施されたこと自体が、府民の人権を軽視したものとの批判を受けかねない。今後も、このような「人権意識調査」が再生産され続けることは、もうやめるべきである。以下にその根拠を明らかにする。
1、「結婚相手を考える際に気になること(なったこと)」という問の問題性
 本調査は、大阪市および大阪市以外の大阪府下市町村在住の日本人・外国人から、選挙人名簿、住民基本台帳、外国人登録原票・データ等により20歳以上から2000人を抽出し、郵送により実施された。調査票が到達したとされる1982人に対し、有効回収率は45・6%であったとされているが、一般的な郵送調査に比較しては高めの
回収率である点が気にならなくはない。今回の調査では、2005年調査への様々な批判を意識して、分析メンバーは交代し質問項目の修正も行われている。
2010年度の調査にもある「結婚相手を考える際に気になること(なったこと)はどんなことですか」という問3は、1980年の調査実施当初からの調査項目である。2005年調査までは、設問に、「あなた自身の結婚相手を考える際、相手の人柄や性格以外で、気になること(気になったこと)についてお聞きします」として、重要な判断基準となる「人柄、性格」をあらかじめ排除して、それ「以外で気になること」の選択を求める問を設定するという恣意的な操作がなされていた。2005年調査の報告書に対し、この手法が批判された。これを意識してか、2010年調査ではそのような設問上の排除をなくした質問項目に変更されている。
 自分「自身の場合」の回答では、「人柄、性格」84・3%、「趣味や価値観」50・2%、「経済力」44・7%、「仕事に対する相手の理解と協力」44・0%など項目が、「気になること」と挙げられる比率が高い。次いで、「家事や育児の能力や姿勢」34・0%、「相手やその家族の宗教」27・7%、「職業」26・4%、「国籍・民族」25・2%、「離婚歴」21・9%と続き、その次の10番目に「同和地区出身かどうか」があげられ20・6%となってい
  問3 表
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る。2005年の調査では除外された「人柄、性格」を含めると7番目であったが、この5年間の間に順位がさらに後退しており、2005年調査時点よりも一層希薄になっていることが確認できる(「基本編」29頁)。年齢別の集計をみると「同和地区出身かどうか」が「気になる」と選択した人は若いほど比率が低く、20歳代では8・6%にとどまっている。
 西田芳正氏は、「分析編」(112頁)で「自身や子どもの結婚に際して「同和地区出身かどうか」が「気になる」とする者も2割いた」と重視し「差別意識は根強く残っている」根拠のひとつとしているが、この5年間の比重の後退や、現実に差別を日常的に身近に実感していた高齢者世代の回答傾向と若者世代の回答傾向との違いを無視した、恣意的な強調だと言わなければならない。
 また、「気になる」ことと「差別意識」は同義ではないし、直ちに結婚差別行為につながるとも言えない。たとえ気にはなっても、「人柄、性格」をはじめとした理由でお互いに惹かれあって結婚に至る場合が少なくない。10年前に大阪府が実施した2000年の実態調査で地区を超えた結婚が多数となっている事実も、そのことを証明していた。このような変化の意義をとらえず、「気になる」意識の残存をことさら誇大に表現し「差別意識は根強い」と強調する姿勢は、はたして問題解決の道筋を探求する立場なのかと疑念をいだかざるをえない。

2、住宅を選ぶ際の「忌避意識」は「差別意識」を表現しているのか
 調査票では「あなたは、家を購入したり、マンションを借りたりするなど、住宅を選ぶ際に価格や立地条件などが希望にあっていても、次のような条件の物件の場合、避けることがあると思いますか」という問4を設定している。そして、@「同和地区内である」、A「小学校区が同和地区とおなじ区域になる」、B「近隣に低所得者など、生活困難な人が多く住んでいる」、C「近隣に外国籍の住民が多く住んでいる」、D「近くに精神科病院や障がい者施設がある」などの場合を想定して、@からCのそれぞれの想定ごとに、「避けると思う」「まったく気にしない」「わからない」などの回答を求めている。
 この問自体に問題が含まれている。「価格や立地条件などが希望にあっていても」として、主要に考慮される条件をあらかじめ排除した上で、五つの条件を提示して回答を引き出そうとする操作は、結婚の際に「人柄や性格以外に」と主要条件を排除した問い方と同様のことが再び繰り返されている。「差別意識」なるものの存在を引き出したい意図がにじみ出た設問である。しかしこのような設問は、実際に住宅地を選択する際に考慮する判断とは大きくズレた回答になってしまうものである。
 さらに軽視できないのは、提示された五つの条件設定である。この五つの条件は、人々が忌避する条件として、設問者があらかじめ予断をもって想定している。このような設問が不特定多数の市民を対象に、問うこと自体が忌避意識を誘発する効果をもっており、公的行政機関が調査でそれを行ってしまっているという問題も大きい。無回答の人が1割近くを占めているのは、そのあらわれとも読める。
 低所得者の多数居住地、外国人の多数居住地、精神病院、障がい者施設等の近接地等については、これを「避けると思う」「どちらかといえば避けると思う」と回答した人よりも、「どちらかといえば避けないと思う」「まったく気にしない」とした比率のほうが高い。
 「同和地区の地域内である」物件に関しては、「避けると思う」「どちらかといえば避けると思う」と回答した人よりも、「どちらかといえば避けないと思う」「まったく気にしない」とした比率のほうが高い。
 「同和地区の地域内である」物件に関しては、「避けると思う」「どちらかといえば避けると思う」と回答した人が合計で55%であるが、「どちらかといえば避けないと思う」「まったく気にしない」を合わせると23・1%となっている(「基本編」31頁)。    四ページへつづく

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小学校区が同和地区の同じ区域にある物件の場合は、それぞれ42・9%と35・3%という数値が示されている。西田氏は分析編で、「住宅を選ぶ際に同和地区内を避けるという回答が過半数」あることも「差別意識は根強く残っている」根拠のひとつとして強調している(「分析編」142頁)。しかし、同じ「分析編」で神原文子氏は、「同和地区内の地域内」の物件を避けるという回答と、「同和問題に関する差別意識がなくならない理由」への回答との相関性を分析した結果として、「結婚問題や住居の移転になどに際して、同和地区出身者やその関係者とみなされることを避けたいと思うから」、「同和問題に名を借りて不当な利益を得ようとする、いわゆる『えせ同和行為』などを見聞きすることがあるから」、「運動団体による活動が、市民の共感を得られず、逆に反感を招いているから」、「いまでも同和地区の人だけ、行政から優遇されていると思うから」を選んでいる人は、「住宅を選ぶときに同和地区の地域内の物件を避ける傾向が強いことがわかります」と分析している(「分析編」65〜66頁)。これは、「差別意識」以外の要素が影響していることを物語っている。
 問4 表

3、「同和地区」が現存していることを想定した設問は事実を歪曲する
 これまでみてきたように、この大阪府の「人権問題に関する府民意識調査」では、実態としての「同和地区」が実在していることを、一片の疑念もなく前提として調査が実施されている。しかし、今日では、そのこと自体が現実を歪めて伝えるものであると批判されなければならない。その根拠は少なくとも3点ある。まず第1は、対象地区を指定した特別施策としての同和行政が対象地域として指定した地域が「同和地区」であり、国の特別施策自体が2002年3月末で終結した以上、国レベルの行政概念としての「同和地区」は存在しないのである。地域指定をして、特別な行政施策を実施することは、ひとつの積極的差別政策であり、地域内外の住民によって同意され受け入れられ、法的根拠を有していた限りで有効であり、目的を達成すれば速やかに廃止されるべきものである。格差是正などの目標がおおむね達成されたにもかかわらず、いたずらに存続されることが、対象住民の特別施策「依存」と対象外住民との間に行政による分断の壁を構築することになりかねない。「同和地区」の用語を依然として使い続けることは、そのような問題に無頓着であるか、依存と分断を意図したものと判断せざるを得ない。
第2に、あえて、特別施策の対象地域であったことを指示するのならば、すでに終結した同和行政の対象地        五ページへつづく


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域としての「旧同和地区」という呼称に留めるべきである。しかし第3に、指摘しなければならないのは、その「旧同和地区」自体も、地区外からの住民の流入が
進み、混住化地域となっているだけではなく、従来からの住民の地区内外の通婚が大きくひろがり、同和行政により環境は変わり、地区外に転出した住民も多くなっている。したがって、「旧同和地区」は住民構成や環境ともに、同和行政が開始された時点からは大きく変容している。その実態は大阪府自らが2000年に実施した実態調査でも明らかになっている。にもかかわらず、今なお「同和地区」が現存するかのような設問をすること自体、この間の変化や同和行政による成果を無視したものであり、府民に対し誤った非歴史的で固定的なイメージを広めるものである。
4、「差別意識」とは何かの吟味なく、その変化をみずに残存を強調
 「あなたは、同和地区や同和地区の人に対する差別
意識が、いまでも残っていると思いますか。あなたのお考えに近いものを選んでください」という問13を設定して、「差別意識」の現状に関する意識を確認しようとしている。この設問でいう「差別意識」とは何かの説明もないので、回答者はそれぞれに多様な理解をして回答するだけである。科学的な調査であれば、「差別意識」とは何かの検討を行い、設問や選択肢はいかにあるべきかの吟味が不可欠である。上の1でも指摘したように、「気になる」ことが差別意識ではないし「偏見」とイコールでもない。また、意識は内心の自由の領域でもあり、これをコントロールすることはできない領域である。現実の行為としての差別や、制度としての差別的な扱いはまさに“差別”と言える。「差別意識」とは何かは極めてとらえにくい表現なのである。
「分析編」では、神原氏は、「忌避意識イコール差別意識ということではなく、忌避意識は様々な差別意識の一種である」ととらえており(「分析編」14頁)、
 問13 表

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「差別意識」は多様なかたちで存在していると理解しているようである。とはいえ、この問13でいう「差別意識」の意味は漠然としており、これをそのままにして「残っているか」どうかという判断をたずねても、回答者それぞれの思いで漠然とした判断で回答されたとみるしかない。
 調査結果では、「差別意識は現在もあまり変わらず残っている」と回答した人は13・2%、「差別意識はさらに強くなっている」という人は0・3%とごく少数で、「差別意識は薄まりつつあるが、まだ残っている」と回答した人が53・5%となり、「差別意識は薄まりつつある」と回答した比率が半数以上となっている。ところが、報告書の文章では、「まだ残っている」と回答した人を一括し「68・1%が差別意識は残っていると考えている」(基本編47頁)と強調している。問題解決にむけた変化を見据えた分析ではなく、変化よりも「差別意識」が「残っている」ことを確認する意図が現れた記述となっている。
 ここで、「同和地区や同和地区の人に対する差別意識」と呼ばれているものは、現実には、今も「同和地区」が存続しているわけではないことを考慮すれば、「旧同和地区」を「気にする意識」が残っているか、というくらいの判断をした回答と解するのが妥当ではないだろうか。

5、「差別意識」なるものが「残っている」理由を府民はどう考えているか
 本調査では、先の問で「差別意識」が「残っている」と回答した人に、「なくならない理由はなぜだと思われますか」という問13ー1をさらに投げかけている。
 この回答をみる際にも注意しなければならないのは、「残っている」と回答した人に限定したものであり、「差別意識」がなんであるかという定義はないので判断基準は回答者によって多様でありうる。さらに、その回答が回答者の意識でもなく、「残っている」客観的な根拠を示すものでは全くない。「残っている」と判断する根拠として推定することをたずねている問にすぎない。この問への回答として「昔からの偏見や差別意識を、そのまま受け入れてしまう人が多いから」ではないかとする人が「残っている」と回答した人(596人)の54%あ     
  問13−1 表

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るが、全体の回答者(874人)に対する比率は36・8%である。また、「結婚問題や住居の転居になどに際して、同和出身者やその関係者とみなされることをさけたいと思うから」ではないかとする人が46・1%だったが、回答者全体に対する比率は31・5%である。
 そして、このような判断とならんで、「いまでも同和地区の人だけ、行政から優遇されていると思うから」「残っている」ではないかと推測する人が「残っている」と判断する人の47・5%(全体の32・4%)あり、「同和問題に名を借りて不当な利益を得ようとする、いわゆる『えせ同和行為』などを見聞きすることがあるから」「残っている」と推測する人は45%(全体の30・7%)ある。さらに、「運動団体による活動が、市民の共感を得られず、逆に反感を招いているから」「残っている」と推測している人も25・5%(全体の17・4%)ある(「基本編」53頁)。これは、「差別意識」なるものが人々のあいだにまだ残っているのは、行政の特別施策や「えせ同和行為」や市民の共感の得られない「運動団体の活動」が、影響しているためと判断する回答者が一定数あることも示している。このような府民の判断を変化させるには、同和行政の終結の時期を迎えていることをきっぱりと府民に表明し、国の特別施策が終了しているのにもかかわらず続けられている特別扱いが、府をはじめとする地方自治体行政のレベルであるのなら、それを速やかに廃止することである。しかも、その過程を府民に示しながら進めることが不可欠である。この点を曖昧にして、いくら教育・啓発を繰り返しても府民からの理解は得られるものではないと言わなければならない。

6、同和問題解決のために効果的と思われることの判断
 「同和問題解決のために、次にあげる施策や対応は、どの程度効果的だと思いますか」とたずねた問20への回答では、「差別を法律で禁止する」ことに関しては「効果的ではない」「あまり効果的ではない」と回答した人は、あわせて41・3%に達している。これに対し「非常に効果的」「やや効果的」と回答した人は29・7%にとどまっており、差別の法的規制に否定的な人の方が多数である。
 一方、「非常に効果的」「やや効果的」と判断する人の比率が高いのは、「学校教育・社会教育を通じて、差別意識をなくし、広く人権を大切にする教育・啓発活動を積極的に行う」(56・3%)ことと、「同和地区と周辺地域の人が交流を深め協働して『まちづくり』を進める」こと(53%)である。しかし、あとでもみるように、これまで実施されてきたいわゆる「人権学習」の効果については否定的な分析結果が出ており、旧来の「教育・啓発」活動の継続を支持する結果と見るのは早計である(「基本編」67頁)。

7、神原氏の「尺度」づくりの検討
 次に、2012年3月に発表された「分析編」で神原文子氏は、因子分析の手法を使って「人権意識」に関する尺度を提起している。ここでは、その点について吟味をしておく。
@「人権意識」を測る尺度は比較的妥当
 神原氏は「人権意識」を測る尺度として二つの尺度を導き出している(「分析編」5頁)。一つめの「排除問題意識度」と命名された尺度は、問1(3)「外国人であることを理由にマンションなど住宅の入居を拒否すること」、問1(4)「障がい者であることを理由にマンションなど住宅の入居を拒否すること」、問1(1)「ホテルや旅館がハンセン病回復者などの宿泊を断ること」、問1(2)「結婚する際に興信所や探偵業者などを使って相手の身元調査を行うこと」、問1(7)「景気の悪化などを理由にまず外国人労働者から解雇すること」の項目への回答に共通性があることを見出し、そこには「排除」を問題にする意識という共通性があると読み取り「排除問題意識」と命名されている。そのうえで、それぞれの項目で「問題あり」との回答を4点、「どちらか
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といえば問題あり」は3点、「どちらかといえば問題なし」は2点、「問題なし」は1点と点数化している。
 二つめの「体罰問題意識度」と命名された尺度は、問1(12)「教師が子どもの指導のために、ときには体罰を加えることも必要だと考えること」および、問1(11)「保護者が子どものしつけのために、ときには体罰を加えることも必要だと考えること」を問題とする回答には共通性があり、これの回答も点数化し「体罰」を問題にする意識としての共通性を表現して「体罰問題意識度」と命名している。点数化は同様である。
これら、二つの尺度として設定されているものは、信頼性係数も高く、その根拠も比較的妥当なものとして了解できる。
  問20 表

A「人権観・差別観」を測る尺度は特定の立場を表現する
 神原氏が「人権観・差別観」を測る尺度としている三つは、信頼性や命名の仕方においても難点がある(「分析編」8〜9頁)。
 まず、一つめの「人権推進支持意識」は、問2(3)「あらゆる差別をなくすために、行政は努力する必要がある」、問2(5)「差別を受けてきた人に対しては、格差をなくすために行政の支援が必要だ」、問2(11)「差別問題に無関心な人にも、差別問題についてきちんと理解してもらうことが必要である」、問2(9)「差別される人の話をきちんと聴く必要がある」、問2(7)「差別は法律で禁止する必要がある」という項目に共通性があるとし、それぞれについて「そう思わない」という回答を1点、「どちらかといえばそう思わない」を2点、「わからない」を3点、「どちらかといえばそう思う」を4点、「そう思う」を5点と点数化している。しかし、これらの因子の共通性を示す信頼性係数は、氏自身が「おおよその目安」としている0・7を下回る0・66であり、
共通性を強調する根拠に難がある。問2(7)「差別は法律で禁止する必要がある」という項目は、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」を含めても42・4%と少なく、わからないとの回答が多く、他の項目と比較して回答者で評価が大きく分かれている。上の6でも紹介した問20の回答でも「差別を法律で禁止する」ことは「効果的ではない」と評価する人が「効果的」と回答する人の比率を大きく上回っているのである。にもかかわらず、これも「そう思う」との答を
5点とカウントしている。このような異質の回答傾向を示す項目を含めているために信頼性が低くなっている可能性が高い。これを「人権推進を積極的に支持する意識」の度合いを測る尺度と命名するには無理があり、特定の立場からのバイアスがかかった「特別施
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策・差別規制支持意識」とでも改名したほうがよい尺度である。
 二つめの、「被差別責任否定意識」とは、問2(12)「差別の原因には、差別される人の側に問題があることも多い」、問2(4)「差別されている人は、まず、自分たちが世の中に受け入れられるよう努力することが必要だ」、問2(10)「差別だという訴えを、いちいち取り上げていたらきりがない」、問2(6)「差別に対して抗議や反対をすることによって、より問題が解決しにくくなることが多い」などなどの項目で、「そうは思わない」を5点、「どちらかといえばそう思わない」4点、「わからない」3点、「どちらかといえばそう思う」2点、「そう思う」1点としてカウントされる。これを「差別は被差別者に責任があるという意識を積極的に否定する」共通性をもった尺度であると名付けている。しかし、これらの因子の信頼性係数も、氏自身が「おおよその目安」としている0・7を下回る0・653であり、共通性を強調するのに難がある。上の5でみたように、多くの府民は同和向けの優遇施策の存続や「えせ同和行為」や市民の理解を得られない「運動団体の活動」を問題と感じている。そのような人が問2(4)や問2(6)に「そう思う」と回答するとポイントが低くなる。被差別者に責任はないとして高いポイントはあっても、行政や運動団体には批判的な意識が出る項目ではポイントが低くなる。このような回答者が交じっていることが尺度の信頼性を低くしている可能性が高い。この尺度は、「差別者責任を重視する特定の立場を支持する意識」を測る尺度となってしまっているのではないだろうか。
 三つめの、「差別容認否定意識」とされているものは、問2(1)「差別は、人間として恥ずべき行為の一つだ」を肯定する度合いと、問2(2)「差別は世の中に必要なこともある」、問2(8)「どのような手段を講じても、差別をなくすことは無理だ」という考えを否定する度合いとを共通性でくくって、「差別容認」を否定する意識と命名している。この尺度の信頼性係数は0・512と0・7からはかなり低い。
  問2 表

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「基本編」(22〜23頁)によれば、20歳代の若者で、「差別は、人間として恥ずべき行為の一つだ」と肯定する率は74・1%ある一方で、「差別は世の中に必要なこともある」という考えを否定する率は50%で、「わからない」が19%、「どのような手段を講じても、差別をなくすことは無理だ」を肯定する率は70・7%と高く悲観的な見方をする率が高い。このような一見矛盾した回答傾向は、今日の若者の置かれている不安定さを反映している。このように、この尺度では、共通した回答傾向を示さない集団が存在し、共通の尺度とするには難があることを否定できないのである。
B結婚相手の条件として「気になる(気になった)」とする意識の測定
 1で言及した問3の「結婚相手を考える際に「気になる(気になった)こと」の各項目をもとに、八つの因子にまとめている(「分析編」11〜12頁)。「学歴」「家柄」を気にする「階層排除」因子、「同和地区出身かどうか」「国籍・民族」を気にする「同和地区・国籍等排除」因子、「家事や育児の能力や姿勢」「仕事に対する相手の理解と協力」を気にする「理解協力」因子、「離婚歴」を気にする「離婚歴排除」因子、「相手やその家族の宗教」を気にする「宗教排除」因子、「職業」や「経済力」を気にする「経済力排除」因子、「相手やその家族に障がいのある人がいるかどうか」を気にする「障害排除」因子、「ひとり親家庭かどうか」を気にする「ひとり親家庭排除」因子等がそれである。それぞれに、自分自身の場合と子どもの場合についての回答をまとめにした信頼性係数は、「ひとり親家庭排除」が0・69であるのをのぞいて、すべて0・7よりもかなり高いとしている。そこで、神原氏は、これらのなかから、「同和地区出身かどうか」「国籍・民族」「相手やその家族に障がいのある人がいるかどうか」「「家柄」「離婚歴」「相手や家族の宗教」「学歴」等の項目を取り出し、それぞれについて「気になる」と選択すると1点、選択しない場合は2点とカウントし、気にならないほど点数が上がるように設定する。そして、この数値で示される尺度を「結婚排除否定意識」と名付けている(「分析編」18〜20頁)。神原氏は、数値が「低いほど差別意識が高く、高いほど反差別意識が高い」と述べている。しかし、「気になる」ことがそのまま差別意識ではないし、ましてや差別行為を引き起こすと断定できないのは、上の1で述べたとおりである。この尺度は「差別意識」を否定する意識を測定したものというよりも、「気にならない」かどうかを測る尺度とみなすほうが妥当であろう。
C忌避意識の測定には留保が必要
 ついで、住宅を選ぶ際に、問4(2)「小学校区が同和地区と同じ区域になる」、問4(1)「同和地区の地域内である」、問4(3)「近隣に低所得者など、生活が困難な人が多く住んでいる」、問4(4)「近隣に外国籍の住民が多く住んでいる」、問4(5)「近くに精神科病院や障がい者施設がある」などを理由に、特定の物件を避ける回答には共通性があるとし、信頼係数も高いことを示している。それぞれについて「避けると思う」1点、「どちらかといえば避けると思う」2点、「わからない」3点、「どちらかといえば避けないと思う」4点、「まったく気にしない」5点と加点している。神原氏は「忌避意識イコール差別意識ということではなく、忌避意識は様々な差別意識の一種である」としている(「分析編」14頁)。ここで測定された「忌避意識」は「差別意識の一種」とすることにも留保が必要である。なぜなら、2で検討したように問自体に操作があるだけではなく、ここで言われる「忌避意識」には「えせ同和行為」や市民の共感の得られない運動への嫌悪感や行政上の特別扱いへの不信感も含まれているからであり、そのことは
神原氏自身も指摘している(「分析編」65〜66頁)   
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D同和地区に対するイメージの測定
 神原氏は「差別意識の形成に影響した要因について検討」するために二つの尺度を提起している(「分析編」33〜35頁)。
 一つめは、「反集団優遇イメージ尺度」は、問14(6)「何か問題が起こると、集団で行動することが多い」、問14(10)「いまでも行政から特別な扱いを受け、優遇されている」、問14(8)「同和問題に名を借りた、いわゆる『えせ同和行為』で不当な利益を得ている人がいる」、問14
(3)「地区外の人に対して、閉鎖的な意識を持った人が多い」という項目について集約し、信頼係数も0・738であると強調する。これらの項目について「そう思う」は1点、「どちらかと言えばそう思う」2点、「どちらとも言えない」3点、「どちらかといえばそう思わない」4点、「そう思わない」5点とスコアを付けている。これらの項目に否定的であるほどポイントが高くなる尺度である。神原氏は、この尺度を「同和地区は集団でまとまって、今でも行政から優遇されているという評価を否定する度合」を示すものとしている。この尺度では、同和行政の継続や「えせ同和行為」に批判的な意識が低く評価される。ところが、「基本編」49頁の表「同和地区に対するイメージ」を見ても明らかなように、この尺度で低く判定される意識を抱く府民の比率は少なく、「どちらともいえない」と回答する比率も高い、そして「そうは思わない」という回答した人の率はかなり低いのである。この尺度は、少数の特定の立場を支持する人が高く評価される尺度になっており、同和行政の継続批判や「えせ同和行為」批判に反発する尺度と言えなくはない。同和行政の継続や「えせ同和行為」に批判的な意識には合理的な根拠もあり、それが「差別意識の解消を遅らせている」とは言えても、「差別意識の形成に影響している」とは言えないであろう。
  問14 表
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二つめの「人権交流イメージ尺度」は、問14(11)「地域の学校において、広く人権問題に関する教育に取り組んでいる」、問14(9)「同和地区の人々が
地域外の人々との交流に力を入れている」、問14(7)「同和地区では、高齢者や障がい者への生活支援など、同和地区以外の人権問題にも積極的な取組みが進められている」という項目について、「そう思う」は5点、「どちらかといえばそう思う」4点、「どちらともいえない」3点、「どちらかといえばそう思わない」2点、「そう思わない」1点としている。しかし、この尺度の信頼性係数は0・621とかなり低い。各項目の回答をみても「どちらともいえない」という回答が半数近く占めており、この尺度自体の意義はほとんどないといわざるを得ない。
 神原氏の「尺度」の検討を総括すると、比較的信頼性係数が高く、そのまま使えそうなのは、「排除問題意識」と「体罰問題意識」と「結婚排除否定意識」くらいであった。「反忌避意識」尺度は信頼性係数は高いが、「えせ同和行為」や
市民の共感の得られない運動への嫌悪感や行政上の特別扱いへの不信感等に反発する特定の立場が含まれている。「反集団優遇イメージ尺度」も信頼性係数は高いが、特定の立場を示す尺度である。「人権推進支持意識」、「被差別責任否定意識」、「差別容認否定意識」、「人権交流イメージ尺度」については信頼性係数が低く、名称にも問題があり採用することはできない。

8、人権学習が人権意識に与えた「効果」のなさは「予期せぬ」ものか
 次に、神原氏の尺度で有効と考えられるものを活用した分析結果をみる。
 人権問題の学習の経験が「人権意識」に与える効果があったかという検討では、小学校での学習は「排除問題意識」に効果が認められ、中学校での学習は「排除問題意識」、「体罰問題意識」に効果があり、高校での人権学習は「排除問題意識」に効果があったが、大学でのそれは有意差が認められないとしている。
 職場での研修は「排除問題意識」に効果があり、PTAや民間団体が主催する研修は「体罰問題意識」と「反忌避意識」に効果があったとされている(「分析編」21〜23頁)。しかし、「反忌避意識」尺度には特定の立場が反映されており、PTAや民間団体の主催する研修が、そのような立場の普及の場にされている可能性も予想される。
 次に、それぞれの学習について「特に役に立った(一番印象に残っている)」という人と、そうでない人とを比較して有意差があるかという検討では、学校での学習は有意差が認められなかったとしている(「分析編」24〜26頁)。これは、様々な人権学習が行われてきたが、それが人権意識に与える影響は大きなものではなかったことを示している。さらに、講習、ビデオ、グループ討論、施設見学、フィールドワークなどの様々な学習形式について、「特に役に立った(一番印象に残っている)」という人と、そうでない人とを比較して有意差があるかという検討では、いずれの場合も、効果のある学習形式を見出すことはできない(同上29〜31頁)としている。あの手この手の学習形式を試みても、学習内容自体に限界があることを示唆する結果である。
 また、同和問題についての学習が特に役に立ったと回答した人とそうでない人との間で「反集団優遇イメージ」について有意差は認められない(同上41頁)と指摘している。さらに、「講演会、研修会などで聞いた」「府県や市町村の広報誌などで読んだ」人でも、「反集団優遇イメージ」について、有意差は認められない(同上35頁)という結果も示されている。「反集団優遇イメージ」は学習等を通して形成されるのではなく、特定の立場かそれに近い人が別ルートで共有しているイメージである可能性が高いという結果が示されている。
 神原氏は、総括的に「長年、学校、職場、地域において、同和問題や人権問題についての学習がなされてきました。その結果として、   
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学習経験のある人ほど、差別は今も残っている」という認識が広がったと肯定的に述べているが、その根拠は示されず、氏の分析結果とも乖離した、断定がされている。このような実証的な分析結果から飛躍した記述をあえて行うのは、科学者の論理を超えており、なぜなのか疑問が残る。さらに、神原氏は「予期せぬ“効果”として、学習経験を積むほど、『就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい』という悲観的な意識が広がったということも指摘しておかなければなりません」(同上73〜74頁)と述べている。あたかも今回初めてそのことを認識したかのように述べられているが、2005年の「人権意識調査結果」に基づいて同様の指摘が各方面からなされていた。私も「同和問題について知ったのは『学校の授業で教わった』が初めてと答えた人で、結婚差別や就職差別を『なくすことは難しい』と答えた人の比率が最も高く出ており」人権学習のなされ方に問題があると指摘したことがある(石倉康次「大阪人権意識調査の虚実」『大阪府「旧同和地区」実態調査と人権意識調査について』部落問題研究所、2007年3月)。「大阪府人権意識調査」に参加する研究者であれば、そのような批判があったことを踏まえていて当然なはずである。それなのに「予期せぬ効果」とのべていることに、かえって「白々しさ」を感じとる人もあるだろう。もし本当に知らなかったのならば、先行研究を踏まえるという研究者としては初歩的な作業を行っていないと指摘せざるを得ない。

9、同和問題についての現状認識と「人権意識」の興味深い関連
 4でふれたように本調査は「差別意識」とは何かを定義しないまま、「あなたは、同和地区や同和地区の人に対する差別意識が、いまでも残っていると思いますか。あなたのお考えに近いものを選んでください」という問13を設定していた。神原氏が、これらの回答と「人権意識」に関する尺度との関連を分析している点は、注目してよい(同上53〜54頁)。
 この分析から、まず「『差別意識はさらに強くなっている』と認識している人の人権意識が高いわけではありません」と指摘している。回答者の度数が3で極めて少なく、特定の立場の影響を受けた人の回答と思われるが、そのような人の「人権意識が高いわけではない」という指摘は意味深長である。また「『同和問題は知らない』という人の人権意識が低いわけではありません」とも指摘している。これは、今日の状況をよくあらわしているであろう。
 さらに、「『差別意識は薄まりつつあるが、まだ残っ 
   表6−1
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っている』と認識している人は、最も人数が多いのですが、『被差別責任者否定意識』が最も高い傾向にあります」と指摘している。「被差別責任者否定意識」は信頼性係数が高くはないが、この尺度は、「差別者責任を重視する特定の立場を支持する意識」を測る尺度になっていると、私は7で指摘したが、「まだ残っている」ことを強調する意見はこの立場に関連が深いことを確認できる。
 また逆に、「差別意識はもはや残っていない」と認識している人は、「差別容認否定意識」、「結婚排除否定意識」が高いだけではなく、「反忌避意識」、「反集団優遇イメージ」のような特定の立場と親和性のある尺度でも高くなっている。これは「差別意識はもはや残っていない」という認識は、立場を超えて広がっていることを示していると読み取れるデータなのである。

おわりに
 中川氏と西田氏の分析姿勢に触れて
 分析編には、中川喜代子氏と、西田芳正氏の論考も収録されているが、最後に、これらについても若干のコメントをしておきたい。
 中川氏は分析に先立ち二つのスケールを提示する。Aスケールは「人権問題に対する生活態度スコア」と名付け、問1の「ホテルや旅館がハンセン病患者などの宿泊を断ること」「結婚する際に、興信所や探偵業者などを使って相手の身元調査を行うこと」等の回答のうち、「問題あり」との回答に5点、どちらかといえば問題あり」に3点、「どちらかといえば問題なし」に1点、「問題なし」と「わからない・回答なし」は0点を与え、回答者一人ひとりに合計点を産出したものである。27点以下をLグループ、28点〜41点をMグループ、42点以上をHグループと分類する。このスケールは比較的抵抗なく了解できる。
 Bスケールは「差別や差別の解決に関する態度・意識スコア」と名付けられたもので、問2の「差別は人間として恥ずべき行為の一つだ」や「差別は法律で禁止する必要がある」などの6項目に「そう思う」との回答に5点、「どちらかといえばそう思う」に3点、「わからない・回答なし」に0点を与える。さらに「差別は世の中に必要なこともある」や「差別だという訴えを、いちいち取り上げていたらきりがない」などの6項目について、「そう思わない」という回答に5点、「どちらかといえばそう思わない」に3点、「どちらかといえばそう思う」に1点、「そう思う」と「わからない・回答なし」に0点をあて、回答者一人ひとりの合計点を算出し、21点以下をLグループ、22〜35点をMグループ、36点以上をHグループと分類して分析を進める。このBスケールには8のAでも検討したように、評価の分かれる「差別は法律で禁止する」項目には「そう思わない」という回答が多いが、中川氏のスケールでは低くカウントされる。また、同和行政や「えせ同和行為」や共感の得られにくい運動への批判意識も影響している項目が多いが、それも低くカウントされてしまう。中川氏のスケールはこのような難点を含んでいるが、神原氏が行ったような「信頼性係数」による吟味も行っていない。中川氏は分析の総括として、二つのスケールによるグループ分けをしても「両者の間には必ずしも強い相関関係がない、つまり同じ『H』グループであっても、スケールが違えば同じ設問に同じような反応を示すわけではない結果となった」と報告している。これは、Bスケールの設定に無理があり、再吟味の必要性を示している。しかし、中川氏はそのようなことは一切行わず、「大阪府民の人権意識、人権感覚がそれほどきちんと『腰の据わった』ものではなく、建前で回答する傾向にあり、しかも人権問題に関する意識・関心が高いと思われるグループでさえもそのレベルに留まっている、というのが、この調査で筆者が改めて実感したところである」と述べ、回答者の問題に帰せしめてしまっている。事実に謙虚な姿勢ではなく、自らが裁定者だとする感覚が滲み出ており、とてもいただける意見ではない(「分析編」112頁)。   十五ページへつづく

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 西田芳正氏は「自由記述欄」の回答に、「逆差別」にかかわる回答が最も多かったことに着目し、その分析を行っている。西田氏は「住宅を選ぶ際に同和地区内を避けるという回答が過半数となり、自身や子どもの結婚に際して『同和地区かどうか』が『気になる』とする者も2割いた。結婚差別、就職差別について『なくすのは難しい』という回答がそれぞれ45%、37%を占め」ていることをあげて、「確かに以前と比べて同和地区とその住民に対する露骨な差別的言動は姿を消しつつあるが、差別意識は根強く残っていることもまた認めざるを得ない事実である」と述べて「差別意識」の存続を強調する立場を表明している(「分析編」142頁)。そして、この立場から今日の「逆差別」意識の構造は、「部落差別の歴史、これまでの同和対策の経緯・内容と現在の同和問題の解決に向けた取組み、今日の差別の状況について知られておらず、同和地区とその住民、行政の姿勢についての伝聞・見聞情報(表面的、断片的であることが多い)、さらには自身の生活苦、不満や不安の高まりが背景要因となって、同和地区とそこへの施策が非難の対象とされてしまっている」と断定している。さらに「伝えられるべき情報が届いておらず(これは現状の教育と啓発活動の問題点である)、伝えられる情報の歪みがあり(日常的に流される情報の影響は大きい)、これに生活上の困難が加わることで、『逆差別』意識が浸透していくことは当然の帰結と言うべき」であると結論づけている。要するに、西田氏は、行政における「逆差別」の事実はなく、「教育・啓発活動の問題点」と「日常的に流される情報」の影響と、回答者「自身の生活苦、不満や不安の高まり」が「逆差別」意識を生む原因だと強弁している。「差別意識は根強く残っている」ことを一面的固定的に強調してきた従来の教育・啓発の限界は調査データでも明らかであり、遅きに失した感があるとはいえ、部落問題の変化を正確に示すように早急に正されなければならない。また、これまで、部落問題の変化に即した同和行政の見直しと、終結に向けた取組みの地道な努力がなされてきたが、一部の勢力の抵抗によって合理的に進まなかった経緯も明らかにされなければならない。行政が自主的にそれを行うと期待することができないのはこれまでの経過をみて明らかである。これを突破するためには、行政を監視する議会や自治体職員や住民・市民団体が果たすべき役割が大きいことが東大阪市などの経験からも確認できる。同和行政の「終結宣言」を行政・市民・関係団体の共同で行うことや、従来の「同和地区」はもはや存在しないことを公然と明確にする意義は今なお大きい。そして、地域にある、人権・民主主義に関わる諸問題の解決に、住民自身が自主的に取組むことが重要で、行政の役割はその条件をきちっと整備することに限定されるべきだということも先進的な経験から明らかになっている。これらをひろく府民と共有することが大切であろう。このような観点からみれば、2010年度に実施されたような「人権意識調査」を繰り返し実施し続けることはもうやめるべきである。      (終わり)

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  大阪市営駐車場不正管理住民訴訟と大阪市人権協会の解散
                    弁護士 長野 真一郎

 大阪市は大阪市人権協会に対して金4億4000万円の駐車場管理費不正納付代金を請求せよ、という住民訴訟の判決が本年7月最高裁で確定した。
 この事件は、大阪市内の旧同和地域の市有地の市営駐車場や市営住宅内の駐車場の管理を大阪市人権協会が受託していた。その駐車場の売上げについて不明瞭な経費を過大に計上(業務協力費や用地協力費の名目で、内容不明の経費を水増し)して大阪市へ納付すべき金額を納付しないでいたことの是正を求める住民訴訟である。提訴は、約4年半前の2008年2月。なお、大阪市人権協会とは、旧名称が大阪市同和事業促進協議会という部落解放同盟の関係者が役員となっている社団法人。
 この不正が発覚した契機は、平成18年に部落解放同盟の飛鳥支部の小西役員による西中島駐車場事件(駐車場の売上げを過小に計上して、実収入との差額を横領していた事件)が発覚して逮捕起訴等にいたったところ、時期を同じくして、納付金が急激に増額したことである。平成16年までは年間5000万円台の大阪市への納付金が、平成17年に8000万円、平成18年に1億9900万円と一挙に増加したのである。駐車場の台数は大して変わらないのにおかしい、ということで、情報公開請求をして駐車場の管理委託契約書や大阪市人権協会の決算報告書等を入手して、訴訟をおこした。
 その中で、大阪市自体が、全くこの経費の内容を確認しないまま大阪市人権協会の報告をそのままに、納付金を不正に減額することに協力していたことや、管理委託契約書では売上金から経費を引いた残金の3分の2を納付するということになっていたのに、実際は、売上金の2割〜4割しか納付していないことを大阪市職員自体が放置していたことが判明した。
 その結果、2002年〜2005年の4年間で3億8000万円の納付額の不正減額であり、遅延損害金を含めて計4億4000万円を大阪市は大阪市人権協会へ請求せよとの地裁・高裁判決が出て、それが最高裁で確定したのである。
 その結果、報道(8/17 朝日新聞朝刊)によると、8月上旬、大阪市人権協会は、判決に従い、4億4000万円を大阪市に支払ったが、その結果財政難に陥って、8月末に開く総会で解散を決議するとのことである。
 このような不正を長期間継続し、同和を口実として利権化し、不公正な同和行政の大阪市における主役であった解同系団体が、大阪市民による住民訴訟で解散に追い込まれるということは、極めて大きな意義がある。同時に、同和行政を人権行政に看板だけ変えての解同系団体の活動とそれを容認する自治体の対応は残ったままである。解同系同和団体や役員への不明瞭な委託事業(人権相談事業など)やその活動は、大阪府下でもむしろ拡大傾向にある。大阪市人権協会への駐車場の委託事業がそのまま大阪府人権協会に引き継がれることを阻止することも含め、これらの活動の監視と廃止は大阪市民・府民の今後の課題である。

 100号記念合併号
 会員、読者のみなさま方のご協力のおかげで、100号記念として9月・10月合併号として発行させていだきます。
 100号記念として石倉康次立命館大学教授の協力を得て、2010年、大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書」を分析・検討していただいた論文を掲載します。
 「民主と人権」、引き続きのご購読をよろしくお願い致します。